東京は、一年中でも一番気持ちの良い季節を迎えています。昼間は暖かく、夕方は寒くも暑くもなく、空気も乾いていて、とても気持ちの良い季節を味わえます。昨日の夕方は、本当に久しぶりに、神田神保町あたりをブラブラしてみました。30年ぐらい前は、秋葉原の帰りなどに、古本屋さんを覗いたり、美味しい珈琲屋さんで、自分ではなかなか入れられない味わいの濃い珈琲を飲んだりしていました。
行かなくなった切っ掛けは、秋葉原の変化と、オーディオ店の消滅、青果市場跡が無くなってからの、地域の再開発で、街が変わってしまったからです。水道橋やお茶の水のレコード店も、CD化が進んでからは、あまり行かなくなってしまったのです。クラシックのオリジナル盤は、直接、英国やドイツから買うようになったことも理由ですし、レコード収集も一段落したこともあります。一番の驚きは、その価格の高騰です。私が、一生懸命購入していた70年〜80年代の頃と比べて、10倍以上に跳ね上がった価格にも原因があります。一枚、数万円もするレコードを一体誰が購入するのでしょうか?
我々の世代は、SPの時代から始めて、LP、STEREO LP、オープンリールテープ、カセットテープ、そしてCDと時代の変遷と共に生きてきました。各世代の音を同時進行で体験できた恵まれた世代だと思います。気がついた時には、CDに替わっていた時代の方が、LPの世界に憧れるのも、良くわかるのですが、だからといって、一枚数万円以上するレコードを購入して、その希少性を自慢しているというのも、何か不自然だと思うのです。
遅れてきた世代という言葉がありますが、評価の定まった世界の安心感が心地よいのでしょうか?我々の世代が、消滅していく次の世代には、レコードも市場に溢れ、結局誰も見向きをしれなくなっていくのだと思います。DSDの5.6mHzの時代になれば、レコードはレコードの、CDはCD本来の音がそのまま録音・再生されるからです。特に、レコードの再生は、針音までそっくり再生しますから、ご本人以外は、聞いていてまず解らないでしょう。視覚的にレコード盤が回っていれば、10人が9人以上、見分けがつかなくなっているからです。
テープ愛好家の仲間と進めている、50年も前のオープンリールのミュージックテープの再生音を聞けば、ジャケット以外の収集の意味は、無くなってきています。その時代だからこそ、骨董的な意味はあっても、それを全部自前で揃える必要は、もはや無いと言っても過言ではなりません。50年以上経って著作権も切れたテープやレコードは、ハードディスクさえ揃えれば、良い時代になっているのです。65歳以上の前期高齢者になった世代の方々が、昔取った杵柄の再生技術を駆使して、ファイル化されれば、全く問題は有りません。
当然、骨董店化した中古レコード屋は残るでしょう。程度の良い盤、希少性のある盤は、価格が上がる一方だからです。クラシックのレコードでは、英国盤が一番価値があります。メジャーのレコード会社、DECCAやEMIが英国にあったからです。録音された国の盤がやはり良い音をします。米国録音は米国盤と言いたいのですが、60年代から80年代のレコード全盛時代は、英国製のレコードが、オリジナル盤だったのです。その後、英国盤が無くなってきたので、だんだんフランス盤にシフトしてきて、店頭で見られる盤は、フランス盤になってきました。フランス盤は、硬質な音がします。その音に合わせた装置で聴くと、独特の魅力があります。
趣味の世界ですから、骨董品扱いのお店があっても一向に構わないのですが、掛かるお金の額を考えると、若い世代の人達には、別なアプローチが有っても良いように思えるのですが。レコード屋さんをあとにしてから、路地裏の珈琲屋さんでウィンナーコーヒーを頂きました。今ひとつ、角の珈琲屋さんお上の落ち着いたバーに寄って、楽しい音楽談義をして戻ってきました。表に出ると、このあたりまで、都電を乗り継いで来た遠い日のことを思い出しました。
行かなくなった切っ掛けは、秋葉原の変化と、オーディオ店の消滅、青果市場跡が無くなってからの、地域の再開発で、街が変わってしまったからです。水道橋やお茶の水のレコード店も、CD化が進んでからは、あまり行かなくなってしまったのです。クラシックのオリジナル盤は、直接、英国やドイツから買うようになったことも理由ですし、レコード収集も一段落したこともあります。一番の驚きは、その価格の高騰です。私が、一生懸命購入していた70年〜80年代の頃と比べて、10倍以上に跳ね上がった価格にも原因があります。一枚、数万円もするレコードを一体誰が購入するのでしょうか?
我々の世代は、SPの時代から始めて、LP、STEREO LP、オープンリールテープ、カセットテープ、そしてCDと時代の変遷と共に生きてきました。各世代の音を同時進行で体験できた恵まれた世代だと思います。気がついた時には、CDに替わっていた時代の方が、LPの世界に憧れるのも、良くわかるのですが、だからといって、一枚数万円以上するレコードを購入して、その希少性を自慢しているというのも、何か不自然だと思うのです。
遅れてきた世代という言葉がありますが、評価の定まった世界の安心感が心地よいのでしょうか?我々の世代が、消滅していく次の世代には、レコードも市場に溢れ、結局誰も見向きをしれなくなっていくのだと思います。DSDの5.6mHzの時代になれば、レコードはレコードの、CDはCD本来の音がそのまま録音・再生されるからです。特に、レコードの再生は、針音までそっくり再生しますから、ご本人以外は、聞いていてまず解らないでしょう。視覚的にレコード盤が回っていれば、10人が9人以上、見分けがつかなくなっているからです。
テープ愛好家の仲間と進めている、50年も前のオープンリールのミュージックテープの再生音を聞けば、ジャケット以外の収集の意味は、無くなってきています。その時代だからこそ、骨董的な意味はあっても、それを全部自前で揃える必要は、もはや無いと言っても過言ではなりません。50年以上経って著作権も切れたテープやレコードは、ハードディスクさえ揃えれば、良い時代になっているのです。65歳以上の前期高齢者になった世代の方々が、昔取った杵柄の再生技術を駆使して、ファイル化されれば、全く問題は有りません。
当然、骨董店化した中古レコード屋は残るでしょう。程度の良い盤、希少性のある盤は、価格が上がる一方だからです。クラシックのレコードでは、英国盤が一番価値があります。メジャーのレコード会社、DECCAやEMIが英国にあったからです。録音された国の盤がやはり良い音をします。米国録音は米国盤と言いたいのですが、60年代から80年代のレコード全盛時代は、英国製のレコードが、オリジナル盤だったのです。その後、英国盤が無くなってきたので、だんだんフランス盤にシフトしてきて、店頭で見られる盤は、フランス盤になってきました。フランス盤は、硬質な音がします。その音に合わせた装置で聴くと、独特の魅力があります。
趣味の世界ですから、骨董品扱いのお店があっても一向に構わないのですが、掛かるお金の額を考えると、若い世代の人達には、別なアプローチが有っても良いように思えるのですが。レコード屋さんをあとにしてから、路地裏の珈琲屋さんでウィンナーコーヒーを頂きました。今ひとつ、角の珈琲屋さんお上の落ち着いたバーに寄って、楽しい音楽談義をして戻ってきました。表に出ると、このあたりまで、都電を乗り継いで来た遠い日のことを思い出しました。