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Channel: GRFのある部屋
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2017年連休 六日目 - 2 S.Tさんのご感想

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麗しき五月、昼下がりのシャンソン・リサイタル




今年の二月の末にGRFの部屋を再訪する機会を得て、トロバドール80+TW3システムでCDとLPの再生を聞かせていただいた時の驚きと感動を「壺中の天 再訪」ということで報告しました。今回の訪問については『一枚のLPを一つの演奏会として鳴らして、音楽そのものを存分に楽しんでもらう』という趣旨の会をGWに開くというGRFの部屋のご主人の計画を伺って、一も二もなく出席のお願いをしたことに始まります。



GRFの部屋の新しいシステムは、この部屋を訪問された方々からも詳しく報告されているように、これまでのオーディオとはそもそも次元が違うとしか言いようのない素晴らしい音でした。特に新しいフォノアンプで聞ける、これまでテープでしか聞けなかった厚い低音域に支えられた豊かなアナログサウンドは、聞き手に昔の記憶をよみがえらせるきわめて強い力があるようで(映像よりもインパクトが強いように感じます)、カラヤン/ベルリンフィルと越路吹雪/イン・ベラミについて自分の経験をこんな風に書きました。


『どういうわけかこのシステムで聞くLPの音はCDより記憶を呼び覚ます力が強いようです。カラヤン/ベルリンフィルの63年盤LPの第九のリハーサルで、4楽章の最初をコントラバスとチェロが弾き出した瞬間、66年に上野の文化会館で20歳を過ぎたばかりの私が聞いたカラヤンの第九で、地底から響くような雄大で重厚な低音弦の音に仰天した記憶が一気に甦りました。


また越路吹雪のベラミにおける67年実況盤の「チャンスが欲しいの」を聞いた途端、ちょっと狭いベラミのホールの音響とダンスフロアの混雑がまざまざと思い出されて、正直なところちょっと涙が出そうになりました。genmiさんが「オーディオ」を超えて「タイムマシーン」だとお書きになっている通りで、『紅茶に浸したマドレーヌ』にも劣らないほど、GRFの部屋のアナログは昔の記憶を瞬時に呼び覚ます力があるようです。 全く驚きの連続した充実した再訪でした』




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これがアナログとCDの物理特性の問題なのか、あるいは私にとってレコードをかけて聴くということ自体がそもそもノスタルジックな行為なのか時々考えるのですが、今でも判然とはしません。




先に書いたようなことで実現した今回のLPリサイタルでしたから、ワクワクしながら3度目のGRFの部屋訪問をしました。今年の2月に感じた厚い低音域に支えられた豊かなアナログサウンドという感じはこの3ヶ月で益々深まり確固たるものになっていて、ご一緒したOさんのこれならテープは要らないですねという言葉に私もまったく同感です。



今回の会の趣旨がLPの演奏そのものを楽しむという事でもあったので、以下の感想は当日楽しんだ音楽に絞って書きます。




今回も先ずはカラヤンの第九リハーサル、ドイツ語が分からないものの、ベルリンフィルに細かい指示を与え何度も繰り返すエネルギッシュなカラヤンに改めて感心。



それからが本題のプログラムで、MCのアナウンスもなく金子由香里のセカンドアルバムからスタート。もちろん当日のプログラムについては何も説明を受けていなくて、この部屋のご主人・GRFさんが自由にお客の反応を感じながらの選曲なのですが、先ずは金子由香利のしかも若い頃のトリオ盤に直撃されて、私の『タイムマシーン』のスイッチが一挙に入ってしまいました。GRFさんの周りの人に対する気配りの細やかさはご一緒していていつも感心してしまうのですが、この選曲の的を射ていることも同じ神経の働きなんでしょうね。




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私は金子由香利のファーストアルバムを初出時に買って、その後ずっと折に触れては聴いています。でもそんな話をこれまでGRFさんにはしたことがありません。金子由香利のデビュー盤を買ったのもただ『菫の花咲くころ』をヴァ―スから歌っていることと、堀口大學訳の『ミラボー橋』を唄の一部として朗読していることという二つの理由だけで、彼女については何も知りませんでした。それが、彼女の初々しさも残す美しい歌声にすっかり魅せられてずっと聴き続けています。




次いで金子由香利が人気歌手になるまでを時代を追ってLPを演奏。彼女がトリオレコードからフィリップスに移り、ジャケットもバルバラ風のものに変わって、歌もさらに成熟し堂々としたものになっていきます。トリオレコードとは違うフィリップスのオフマイク気味の録音がそれを強く感じさせるのかもしれません。最後は銀巴里のリサイタル盤です。



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GRFさんと私はほぼ同年代で昭和の同じ時代を生きてきました。同年代の方とご一緒して一番ほっとするのは、説明しなくても例えば東京オリンピックの前の頃に、銀巴里、シャンソンというような言葉が何を意味していたか、どういう広がりを持っていたかということについてお互いが同じようなイメージを共通に持っていると言う実感があることでしょうか。私は、シャンソン、銀巴里と聞くと直ぐに、丸山明宏がシスターボーイと呼ばれてメケメケを唄っていたこと、巴里祭という日本だけのお祭りがあってオジサンが飲んで騒いでいるらしいこと、サンジェルマン・デュプレ、デュ・マゴ、サルトル、グレコ、ミラボー橋 などが次々に頭に浮かびます。当時シャンソンはフランス文化の重要な一部でした。




私は「ミラボー橋」という歌、というよりも堀口大學の訳したアポリネールの詩がとても好きで、初めて巴里に行ったときに一人で夜にミラボー橋まで行ったこと、橋の下をセーヌ河は黒々と流れてはいたが何の変哲もない真っ暗な橋で遠くにエッフェル塔が見えただけだったという話をすると、GRFさんもミラボー橋を夜に見に行ったが何もない橋で「世界の三大ガッカリ」と同じだったと仰るので、そうか同時代的共感というのはこういうことかと思いちょっと懐かしい気持ちがしました。


先刻ご承知の事と思いますがミラボー橋という詩、アボリネールのというよりも私には堀口大學の訳詩ですが、こんな風です。



ミラボー橋 詩集「アルコ ール」(1913)


ギョーム・アポリネール
 [堀口大學/訳]


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると


日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る


手に手をつなぎ
顔と顔を向け合おう
こうしていると 
二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる


日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る


流れる水のように恋もまた死んでいく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
                             
日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る


日が去り、月がゆき

過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる


日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る




 

感傷的な私はこれをまだ初々しさの残る声で朗読する金子由香利のデビュー盤をこれまで何度聴いたことか。

 

A lot of water under the bridge 初めてGRFの部屋を訪れた日からでも早くも3年に近い月日が流れ、橋の下には多くの水が流れました。でも『私は残る』だろうと思います。




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極私的には、金子由香利はトリオ時代の盤に聴くまだ初々しさを残した歌唱に限ると思っています。大概の歌手はデビュー作にその人のもっともコアな部分が素直に現れているようです。お願いしてデビュー盤の『初めまして』をかけてもらいました。これまで自分のオーディオで数えきれないくらい聞いたものとはまるで別物の演奏で、眼前に彼女がクッキリ浮かび上がる感覚は映像よりもっとリアルに感じられる位でした。でも自分のシステムで聞いていても彼女のコアな部分は間違いなく感じていたんだなとちょっとほっとしたことでした。




今度は、「私は一人片隅で」を歌手繋がりで、大木康子、美輪明宏、シャルル・アズナブールへと、プログラムはさらに横へと広がります。そしてこの辺からはとても美味いバルバレスコ、ワインではなくこの場合には葡萄酒かな、も効いてきて、タイムスリップというか白日夢というべきか、ところどころ朧のごとくでもあります。



そして最後は越路吹雪。69年日生劇場ロングリサイタル実況盤の2面を通しで演奏、やはり越路吹雪は別格ですね。力強さと円熟味のバランスが取れてこの頃が全盛期でしようか。ラ・ヴィ・サンバのソット・ボーチェで囁くように唄うところ、聞こえなくらいのピアニシモを耳元にまで届けるトロバドール80の凄さと越路吹雪の唄声のエロティシズムの格調高さ。この曲の最後、私が見た演出では舞台に横になった彼女が上半身を起こして『行かないで!』と叫んだのですが、LPの演奏を聴きながらあの日の舞台のスポットライトの当たり方も含めて全てがありありと眼前に浮かびました。まさしく当日のLPリサイタルの白眉でした。




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とりとめもないことも色々思い出していました。


音楽がタイムトリップの重要な道具になっている『ある日どこかで』リチャード・マシスンという小説があります。スーパーマンを演ずる前のクリストファー・リーヴの主演で映画にもなってコアなファンタジーマニアにはカルト・クラシックになっている小説なのですが、この主人公は19世紀の終わりの女優のブロマイドを見て恋するあまり彼女の時代に戻ろうとするというラヴストーリーです。この小説ではワルターの指揮するマーラー9番3楽章アダージョがそのタイムマシーンの役目を果たすのですが、GRFの部屋のシステムはこの小説のプロットが実際に起こり得るのではないかと思わせるほどの力があり、私はバルバレスコの力も加わって完全に1970年代にタイムトラベルしている気分でした。




またGRFさんから『ブラームスはお好き』という言葉も出て、やはりGRFさんも我が党の士であるな、とちょっと嬉しくもなりました。映画はブラームスの三番がしつこすぎた感はありましたが、バーグマンが素晴らしく綺麗だったし、なかなか雰囲気がありましたね。




GWの連休の最後にお疲れのところお招きいただき本当に有難うございました。心に残る昼下がりのシャンソン・リサイタルでした。現実のリサイタルよりヴァーチャルなリサイタルがより心に深く沈むという稀な体験ができたこと、当日のプロデューサーGRFさんには心からカーテンコールの拍手を送りたいと思います。


S.T 

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