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今年の桜は?

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一気に暖かくなりました。20度も超えたようです。桜も今日が満開でしょうか?この分では今週末までは、持たないかも知れませんね。風もなく穏やかな快晴の中、先週からこじらした咳を止めるため、耳鼻科まで歩いて行きました。花粉症が終わる今頃しかお世話にならないのですが、今年は、咳がひどいようです。演奏会で、咳を我慢するのは至難の業です。あらかじめあめ玉を剝いておいて連続して、投入してマスクの下で、じんわりと溶かして喉を潤すのですが、突発的に出そうになります。楽章の合間では、盛大にするのですが、オーケストラではない演奏会では、音楽の最中は殆ど恐怖です。

その恐怖に耐えかねて、のど飴を出すのですが、その包装を破るときのおとが会場中に響き渡ります。咳のような生理現象ではなく、プラスティックの人工的なおとが持続するので、その音に対して生理的な反応をするようです。デジタルノイズと同じ現象ですね。

そんな、精神的に圧迫された喉を、噴霧器の治療を含めて多角的にケアしなければと言うのが出かけた理由です。しかし、空は空くまでも晴れ渡り、日差しはくっきりと木々の葉を照らしています。治療が終わったあと、お薬を処方して頂いている間に、その辺まで桜を見てこようと思いました。  

中学の校庭がきれいだったと思い出し、見に来ました。我々がいた頃は、おんぼろ木造校舎でしたから今とは大分雰囲気は違うのですが、周りの風景は、余り変わらず、50年前にもあったであろう桜の木も健在でした。

その中学のあるところは、現在は和田堀公園と呼ばれているようですが、私達は近くの大宮八幡宮の名前を使い大宮公園と呼んでいた、善福寺川沿いの公園を見下ろす高台にそびえています。周りの環境は抜群で、とても都会の真ん中だとは思えません。もっとも、我々の小さい頃は、東京の外れでした。まだまだ、川沿いは水田が拡がり、丘の上も畑が続いている風景でした。狸が出ていたぐらいです。

善福寺川も護岸工事はされていなく、台風が来る度に、周辺は床下浸水を繰り返していました。狩野川台風の時は、水田がすべて水没して、千と千尋の神隠しの様な景色が展開していました。宮崎監督の中には、その時に水没した杉並の田園風景が有るように思います。


そんなことを思い出しながら、善福寺川沿いに桜並木を歩いてきました。五日市街道から上流は、平日だというのに花見客も出ていて、公園内は人で一杯でした。作り直している阿佐ヶ谷住宅の工事現場を通って、戻ってきました。一時間ぐらいの桜見物の小さな旅になりました。



今週末には、NYから38/2トラのテープをお聞きに里帰りされる方が来られます。同時に久しぶりの日本の桜を楽しんで頂こうと思っていましたが、このペースだと日曜日は、散り始めているでしょうね。なんとか間に合えば良いのですが、、、。


メルニコフのプレイエルで弾くドビュッシー

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東京・春・音楽祭の一環で、今回は石橋メモリアルホールに舞台を移してのメルニコフのピアノ演奏会にBellwoodさんからのお誘いでいけました。リヒテルの弟子だったメルニコフの演奏会は、そのリヒテルに捧ぐ演奏会として、ショスタコーヴィッチとドビュッシーとショパンの作曲した《24の前奏曲》シリーズを三夜開きます。今晩の演奏会は、その第二夜で上野学園が所有する1910年製の銘器プレイエルを使用して、1910年頃に作曲されたドビュッシーの名曲がどの様な響きを出すのかという、極めてマニアックな試みでもあります。

メルニコフは、イザベル・ファウストと組んでベートーヴェンのヴァイオリンソナタを昨年公演しています。スリリングな演奏会だったそうです。また、ショスタコーヴィッチの24の前奏曲も大変評判になりました。私も彼のCDは殆ど持っているほどの好きな演奏家です。知的で、確信的な演奏を行っています。楽器にもこだわり、自身10台ほどのクラシックピアノを収集していることでも知られています。そんな彼が、上野学園の所有する1910年製の銘器プレイエルを弾いて、同じ年に出来たドビュッシーの前奏曲全曲に挑むというまたとないプログラムで、先日のレオンスカヤとは違った意味の知的興奮も持って演奏会に行きました。

上野の石橋メモリアルホールでは、何時もBellwoodさんと来ています。田部京子さんのモーツァルトの協奏曲も、曽根麻矢子さんのチェンバロのリサイタルの時もそうですが、このホールにくるときは何時も三月の桜の前でした。今晩は、上野の桜は満開で公園口の方は、大変な人手でしょう。老人力が感染したBellwoodさんも、今日は肝心なチケットを家に忘れて取りに行かれたそうです。老人力がましてくるといろいろと大変です(笑)。

会場には、美しいプレイエルのピアノが輝いています。美術品のような美しさです。この楽器から一体どの様な音がするのでしょうか?ピアノフォルテ的な響きも残っているのでしょうか?いやいや、ドビュッシーがこのピアノが出現したときに今夜の前奏曲を作曲したのですから、やはりすごい音がするのではと、演奏前から期待が高まります。どこか雰囲気が家のデコラに似ていると思いました。

前より恰幅がよくなったメルニコフが現れました。大きくなってきたお腹を隠すように止められたボタンがはち切れそうです。おもったより大きな人で、CDの写真のような神経質そうな感じは後退していました。しかし、座るポジションの微妙な調整等演奏前の神経の使い方が伝わってきます。

静かに第一曲が始まりました。優しい音がするピアノです。弱音がとてもきれい。その弱音を活かすように微妙なタッチを変えて、引き分けていくメルニコフの指使いの繊細なこと。ドビュッシー特有の低い弦がなると、さすがに現代ピアノはここから始まったんだと言う実感がします。だからといって音は重くはならないのです。演奏が始まったときは、その美しい音色に心を奪われて、きわめてオーディオ的な聴き方をしていました。打楽器のピアノの弦に直接手を触れて、弦の振動を微妙にコントロールしている感じの演奏に驚きました。ギターのハーモニクス奏法見たくオクターブ上の音がきこえてきます。どの様にコントロールしているのでしょう。

ペダルとハンマーの微妙な操作で、繊細で普段聴くことが出来ない音がちりばめられ、ピアノの奏法の美術館みたいな演奏に引き込まれていきます。一音一音を聞きながら、響きとハーモニーを確かめながら手探りで冒険をしている気さえしてきます。十二音階的な響きは、その後のサティなどに影響を与えた元の曲だと言う事を思い出させます。その中にも見え隠れする、東洋的な響きの音階配列も感じられ、中性的なニュアンスも出ています。かすかに帆に風を受けゆったりと進んでいく内海の船のようです。

風が吹いてきたようです。葉を揺らし嵐が近づいて来ます。途切れ途切れに加工して旋律が浮かび上がる演奏の妙に目を奪われました。交差する手が優しいのです。「夜の空気の中に漂う香水の香りと音」という表題をつけられた曲は、この柔らかな音が、あなたの装置から出ますか?と作曲家と演奏者に問われたような気もしました。最後の低音がこのピアノは本当に美しい。

     撮影:青柳聡 提供:東京・春・音楽祭

「アナカプリの丘」で表現される交差する響きと左手のだめ押しするような低音の響きと右手の切れ味が出てこなければと挑戦されました。この楽器は、現代のスタインウェイとかベーゼンドルファーのような大きな音はしません。籠もるような音も皆無です。弦の響きをきれいに聴かせる用には作られていますが、一旦その音を吸収して楽器全体に行き渡らせるような、ある意味鈍重な音が一切しないのです。この曲にピッタリの楽器だと思いました。きれいに響くのだけど重い胴間声にはならない、本来のテノール歌手みたいな楽器です。だからといって低音が出ないわけではなく、しっかりとした弦の響きもきこえてきます。

その音を確かめるように、ピアノに響きを尋ねるようにメルニコフの演奏は、ゆっくりと進んでいきます。このテンポは、サンソン・フランソワのテンポ設定に似ているのかもと思ったりしました。思いもしない地点に打ち込まれていく高段者の妙手のように、五線譜の上に書かれているのはたんなる音符ではなく、座標軸の様な、碁の盤面のような抽象的だけど、きわめて数理学的な響きもきこえてくるのです。それが「雪の上の足跡」なのでしょうか。

第七曲の「西風の見たものは」は、冒頭から嵐が近づいてきます。オクターブ音の上昇下降和音が続いて嵐の中に巻き込まれます。ジェットコースターで、振り回されるような下降和音の急降下に驚き、おもわず手を握り締めてしますような展開に息をのみます。

そして有名な「亜麻色の髪の乙女」です。前曲の緊張感が無くなり、ゆったりと上空を見るかのように高いところから音が降りてくるようにメルニコフは演奏していきます。けっしてセンチメンタルなところはありません。ニュートラルで清潔な景色が拡がっていきます。最後の柔らかな音!

途絶えたセレナードは、どこかで聴いたメロディーが顔を出します。スペインの踊りのような、だからといってカルメンには出てくるような、ジャズの演奏にもよく聴くラパパ・パーンという繰り返しがきこえてくるのです。

第十曲の「沈める寺」はオーディオファンにも有名な曲でしょう。沈み込むような低い音と、水音をも意起こさせる高音の輝く様な響き、クライマックスからの下降旋律は、展覧会の絵の《キエフの大門》を思い起こさせます。その低い音が、重くならず、低い音でなると言った表現でお解りになるでしょうか。この音がプレイエルの音なのですね。10曲目と書きましたが、聴いてたときは、九曲目に出て来たような感じもしました。軽妙なパックの踊りから、第一巻の難曲、ミンストレルが始まりました。メルニコフはいとも簡単に弾いて、さっそうと第一部を終えました。

隣で聴いていたBellwoodさんも感心しきりな様子です。早速、気付け薬を飲みに行き、泡のあるタイプにしました。このホールは、営利目的で無い所為かワインの量もたっぷりで、値段もすべて500円という良心的な価格で、飲み助の私達には、嬉しいホールです(爆)。

開口一番!驚きを二人で口にしました。何しろ音が良い!繊細な音で、いままで聴いたことが無いような多彩な響きがきこえてくる。楽器の質がまったく違うし、その違いをメルニコフの演奏が際出せている。と異口同音で驚きを話し始めました。普通のピアノ演奏会ではあり得ないほどの高みに達しています。この演奏会を逃した方は気の毒とか言いようがないとまで二人で興奮して話しました。Bellwoodさんはこの演奏会に狙いをさだめ、早くから良い席を確保したと自慢げですが、その通りなので、ただただ、感謝ですね(爆)。

泡入りワインで酔っ払わないように、気をつけて第二部へと戻りました。前の席の大学教授風の年配の方が、おおきなピアノスコアを持って来ていてそれを悠然とめくりながら聴かれているのをみてBellwoodさんは、どうせチケットを取りに戻ったのだから、スコアを持ってくるのだったと後悔しきりです。でもあの大きなスコアなら見やすいけど、ポケットブックのスコアでは、強いメガネが必要ですね(苦笑)。

第二部最初のきれいなアルペジオが続きますが、少しずつ右手の音が複雑に暗くなっていきます。最後の最低音と最高音の音が不気味な感じがします。そのダブルオクターブの音を聞きながら、どの様に調律して、どの様に演奏したらこの様な不思議に静かな音が出るのだろうと考え始めました。同時に、ドビュッシーがこの新しい時代のピアノの音を聞いたから、この様な音楽を書き始めたのか、鶏と卵みたいな事も考えたのです。時代の同一性と言うことがどのくらい影響し合っているのか、その時代でしか生まれない個別の個性としれが積み重なって出来ていく歴史の必然性等も考えていました。

第二部では第一部で詳細に聴いていた聴き方を離れて音の流れの中に身を任せていきました。いつもは批判的に見ている演奏会で、この様に安心して音に身を委ねられることは余りありません。第三曲の「ヴィーノの門」のファリアみたいなスペイン的な響き、グリザンドのきれいなこと。素早いトリルが支配する第四曲。「亜麻色の乙女」を思い出させる第五曲。月の光を思い出させる第七曲。英国国歌を遊んでいる第九曲。第二集の曲は、遊びと実験に満ちています。技術的にも難しい「交差する3度」などは、練習曲の範囲なのでしょうか?そして、遂に最終曲の「花火」に火が付きます。

最初は、ネズミ花火見たくどうかせんがくるくると回っていたのが、どんどん大きく華やかになっていきます。この最大のクライマックスになっても、音が曇らない、見通しの良いまま花火は大きくなっていくのです。最後は、メルニコフの独壇場になって会場の聴衆を引っ張っていき、突然花火は終わりました。すくっと立つ、メルニコフのやり遂げた満足な顔がとても印象的でした。

拍手にお答えして、演奏されたアンコールは、一曲目はすぐにプロコイエフだと解りましたが、二曲目が解らず、ラフマニノフだそうです。これはBellwoodさんが当てられていました。さすがですね。問題は第三曲目、全く解らず、案内板を見たら、なんとブラームスの幻想曲からでした。意表を突かれましたね。メルニコフの心のなかで共通性があるのでしょう。しずかに演奏会が終わりました。

そのあと、知的興奮が冷めやらない二人は、演奏の細部にわたって何時までも話が続いたのでした。久しぶりに聴衆も燃えた演奏会になりました。これを聞き逃した方は、残念でしたとかいいようがありませんね。参加できて本当に良かったです。

はじめてのGRF邸

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GRFさま

初めてご連絡差し上げます。私、音楽制作の仕事をしておりまして、なんどかお会いしたタッドさんの記事をきっかけに、ここ数年、貴blogを愛読しておりました。

オーディオにも傾倒しており、Avalonをなんとか鳴らそうと自作真空管ampなどで遊んでおります。たまたま杉並・新高円寺に住むことになったこともあり、ぜひいつかはGRFさまの音もお聴きできたらと思っておりました。

新規の方のご訪問をお止めになっている経緯も存じておりながらの不躾なメールで大変恐縮ですが、もしお時間をいただくことができましたら深甚です。

私は40代後半なのですが、不思議なことに同世代の音楽制作の側で自宅オーディオに真剣な方はとても少ないようで、現場でオーディオ談義が盛り上がる事はまずありません(苦笑)。この世界がもう少し間口が広いものになれば、と願いつつ仕事をしておりますが状況は明るくないようです・・。

ab 

と言うメールを頂いたのは、一月ほど前のことでした。ご近所に越してこられ、Toddさんともお知り合いの方ならと日程を調整したところ、今月から来月は殆どふさがっています。出張から戻ってきたばかりでしたが、開けられるのは音楽会に出かける前ならと言う事で、先週末の午後に来ていただきました。これも、歩いてこられる距離にお住まいだから可能でした。



引き戸が開くとそこはblogで見慣れた「Unicornのある和室」でした。六畳間にたたずむ美しいSPは不思議に和室に溶け込んでいます。見慣れた空間にいる自分もなんだか不思議な気分です。

ラック最上段には文章でしか読んだことのない是枝ampが並んでいます。電源安定用の6336Bの単管プッシュプルアンプです。出力トランスをタムラにロットをまとめて入手する是枝さんとのくだりを思い出します。

早速、トニー・ベネットとダイアナ・クラールの「All Right OK, You Win」が掛かりました。ニアフィールドでこの大きさのマルチウェイSPを聞いたら焦点を結ばなそうな距離ですが、実に自然な音像と広大な音場が広がります。

シームレスという単語が浮かびますが、そもそもつなぎ合わせる布が無いんだもんな、とつぶやきます。一枚もの。なにの?音楽の?

シングルユニットとバッグロードホーンの共鳴構造なのに、スパっと最低域まで立ち上がる(これがまた付帯音なく立ち下がる)のは、大出力かつ低域端まで伸び切り、ダンピングも効いた是枝AMPとのシナジーゆえでしょうか。

シカゴ/ハイティンクのマーラー3番の第一楽章、グランカッサのピアニッシモが重い響きを持って迫ってくるのはまさに「速い低音」。そこからは30分に及ぶマーラー三番の第一楽章のオーケストラとの旅でした。

何曲目にかに掛けて頂いた、ペーター・シュライアーの冬の旅ではどこまでも柔らかなテノールを縫ってドレスデン国立歌劇場の外に鳥が鳴き、思わず笑って「鳥が」と言ったのをGRFさんに「鳥は外」と障子の向こうを指されてしまいました。そのくらい、音が一体化していると言う事でしょう。

お時間がないので、次から次へと、秘蔵のToddさん録音音源、LPからのDSD化音源などもお聞かせいただきながら、最後のバーバラ・ストライサンドとエルヴィス・プレスリーの「Love Me Tender」、これも大編成バックに女性と男性voがハモっても定位が微塵も動きません、まで、驚きと楽しみの連続でした。

14bitの最初期のCD34を改造したCDプレーヤー、Unicorn、是枝amp、のシンプルな構成。そしてこれらをまとめ上げる情熱と力量と経験・・。

大変気持ちよくストレスフリー、かつ想像よりも大きな出音でした。聴く前はなんとなくパワーが入らないユニットなのかな、と誤解していましたがとんでもない!

やはり聴くまでわからないものですね。

演奏会前のお忙しい時間にご都合つけて下さり、ありがとうございました!花粉症、お大事にされてください。

ab

abさん ご感想ありがとうございました。時間が短く、系統立ててお聞かせすることが出来なかったのが心残りです。あれから出かけた、演奏会のしーんと静まりかえった会場で、咳をこらえるのに大変苦しい思いをしました。終始飴をなめていましたが、生理現象を止めるのは至難の業ですね。

ボロディン四重奏団 with レオンスカヤ 

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東京・春・音楽祭に毎日行っています。上野に毎日通うなんて初めてですね。三日連続になった四日目の木曜日は、この音楽祭の白眉のボロディン弦楽四重奏団とレオンスカヤの共演で、シューマンとショスタコーヴィッチのピアノ五重奏の夕べです。三日連続になってしまったのは、一昨日の石橋メモリアルホールでのメルニコフがプレイエルを弾いた演奏会が余りにも良く、それならばと翌日の彼のショパンとスクリャービンの演奏会にも足を運んだからです。ところが、小ホール常設のスタインウェイのピアノの音がプレイエルほどさえません。音が何だかドローンとした感じで、スタインウェイ特有な硬質な響きもせず、中途半端な音だったのです。

それでも、後半の第三曲のスクリャービンのピアノソナタ第三番op.23からようやく音が鳴り始めました。メルニコフ自身の気持ちの切り替えが出来ていなかったのか、はたまた、小ホールのピアノが、余り良くない所為なのか、一昨日のプレイエルに感動した身としては、幾分肩すかしを食らった感じでした。その後は、調子を取り戻したのですが。アンコールは、下の写真の三曲でした。微妙に前日とは違いますね。

小ホールで使用しているピアノが毎日同じだとしたならば、演奏者の差や、弾き方の差によってこれほど音が違うのは、怖いほどです。レオンスカヤの初日のシューベルトの音は、晩年の曲なので、静かな演奏でした。モノトーンの演奏と言ってもいいでしょう。冬の旅の墨繪のような色だったのです。それを、三時間近い演奏会の三大ソナタを暗譜で弾くのは、大変なプレッシャーを与えていたのでしょう。リヒテルはどんな時でも、譜面を見ながら弾いていました。レオンスカヤも三曲目のD.960は譜面を見ても良かったのではないかと思いました。

今日は、ピアノ五重奏ですから、当然、アンサンブルなので譜面を見ながら弾くことになります。その安心感がどのように音になるのか、その違いも楽しみ来ました。このところ、五回連続でピアノの演奏会に来ています。いつの間にこんなにピアノ曲ばかり聴くようになったのか自分でも不思議なくらいですが、昨日のプレイエルの響きを聴いて、自分の中では納得できた感じです。ピアノは、それ自身で完結していますし、オーケストラやオルガンに匹敵する小宇宙を再現しているのです。一人の演奏家の世界観がすべて表れてくるところが楽しいのかも知れません。今回のように本当に微妙な音の違いが、どれほどの多様なニュアンスを出せるのか興味は尽きません。

演奏会は、ボロディン四重奏の演奏でシューベルトの弦楽四重奏曲第12番ハ短調D.703《四重奏断章》という曲から始まりました。瞬時にシューベルトの世界に入り込みます。音の統一感、ボーイングの安定感、危ういところの全くない安定した音楽がゆっくりと進んでいきます。さすがに一番歴史の深い四重奏団だと思いました。また楽器の響きが大変柔らかいのも驚きです。短い曲ですか、すぐに終わって現実に引き戻されました。

一旦、舞台に下がって出て来たときには、レオンスカヤも登場します。その間に、ピアノの位置が少しだけ前に出されました。四重奏の間隔も狭まり、より緻密な音が出る態勢です。五人が入ってきて挨拶をするとさすがに豪華なメンバーだと感心しました。ボロディン四重奏団は、今年が創設70周年なので、その記念コンサートと銘打って世界中を回っています。レオンスカヤとも何回もコンビを組んでいるのでしょう。

最初の曲は、シューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調op.44です。この曲はシューマンが32歳の時、妻のクララ・シューマンの為に書かれました。明るい充実した曲で、古典的ではありますが、一部シューマン独特の少し堅い響きも反映されています。シューマン独特の響きです。そのピアノの響きが、昨日のメルニコフとも、初日のシューベルトともまったく違う音がします。低音の輪郭が、はっきりして太い音が聞こえてくるのです。弾き方も違うのでしょうが、これだけ音色が違うと、昨日とは違うピアノなのでしょうか?

室内楽の中の傑作と言われるほど、充実した出だしです。すべての楽器が協奏して和音を奏でます。ピアノが全体の下支えをして、オーケストラ的な響きを醸し出して、充実したテーマがおおらかに醸し出されます。チェロソナタのようなテーマが、チェロとヴィオラの間で交わされます。このあたりは、ベートーヴェン的で良いですね。ところが第二楽章に入ると、メンデルゾーンのアドヴァイスをうけたからではないでしょうが、メランコリックな感じも出て来ます。ヴィオラとチェロの受け渡しのところが素敵です。静かに収束していく二楽章の次ぎに極めてユニークな第三楽章が始まります。

レオンスカヤのピアノが激しく上下して、音色もきわめて強い響きに変わっていきます。先日のシューベルトの時と比べると一遍に覚醒したような響きです。確信的とも言える鍵盤上での激しい動きは、弦楽四重奏を引っ張って昂揚していくのです。静的な響きと最後のコーダのダイナミックな変化の大きさには驚きました。ピアノに負けない弦の音が切れ味の良いピアノと解け合って、クライマックスを迎えます。聞き終わって、思わず声が出るところでした。

休憩の時は、表に出て頭を冷やしてきました。雨が止んで、冷たい空気と入れ替わっていました。今の演奏の熱気に圧倒されたからです。ボロディン四重奏団の演奏の巧さは、驚きです。何しろ音が柔らかい!第一ヴァイオリンの Ruben Aharonian さんが使用している楽器は何なんだろうと考えました。ストラディバリスではあのような甘い音はしません。レーピンの使っているグァルネリ・デル・ジェスみたいな甘い音です。他の楽器も同様で、きつい音はしません。もっともそういう奏法なのでしょう。それと、音がずれない。チューニングしなくても四つの楽器はピッタリと同じ音色を奏でています。一体感が全く他の四重奏団と違います。

それと、演奏の柔らかさにジプシー的な匂いがします。アルメニア出身の人が多いからでしょうか?そういえば、レオンスカヤは隣のグルジアです。ロシア的と言ってもアルメニア系の演奏方法は、ユダヤ的とは少し違いますが、そのような匂いが時々するのです。今のシューマンの中のメンデルゾーン的な響きにも感じました。

第二部の、ショスタコーヴィッチのピアノ五重奏曲もシューマンと同じエポックメーーキング的な傑作です。室内楽曲の中でも一番格好いい曲かも知れません。出だしの嵐のようなピアノの強奏に度肝を抜かれます。何という良い音でしょう。全く、鳴らし方がシューベルトの時と違い、音のダイナミクス、音量、切れ味、深み、すべてが違う音色です。弦楽器群も目一杯の強奏から入ります。嵐はますますましていき、その演奏振りには、目を見はるほどです。

第二楽章のフーガは一転して静かで厳かに始まります。次第に昂揚していく魂の鼓動をレオンスカヤのピアノが伝えます。胸苦しくなるような弦楽器の高まり。そのクライマックスの頂点で、ピアノが第一楽章のテーマを再現します。それをチェロが引き継ぎ、ヴィオラ、ヴァイオリンと音が純化してくのです。次第に収まっていく心の嵐。ピアノが低い音で鎮魂していきます。

三楽章のスケルツォがこの曲の白眉なのかも知れません。弦楽器の刻むリズムの上をピアノが飛び跳ね踊りまくります。その次のヴァイオリンが屋根の上のヴァイオリン弾きの様なユダヤ風のテーマを奏でます。第一ヴァイオリンのアハローニアンさんはアルメニアの出身です。レオンスカヤのピアノはアルゲリッチのような正確無比という訳ではないのですが、ピアノ全体から豊かな響きがしています。メガネを掛けてスコアを読んでいる姿は、真剣そのものです。弦楽器が旋律を歌うときは、ピアノが正確にリズムを刻んでいます。

ボロディン四重奏団の演奏におどろき、感心したのは第四楽章のレントの弦から弦への受け渡しです。静かにチェロと第二ヴァイオリンがピチカートでリズムを刻む上を、第一ヴァイオリンとヴィオラがメロディを引き継ぎます。それをきれいなピアノが、透明の鐘を鳴らすように引き継ぎ、また第一ヴァイオリンに返すのです。その音の美しいこと。柔らかな甘い音を奏でていくのです。通奏低音的にささえピアノの静かなリズム。そして精神が高揚していくながいクレッシェンド。そしてゆっくりとその長い坂を降り始めると、ショスタコーヴィッチ特有のピアノの低く暗く重い音をヴァイオリンが昇華していくのです。美しい演奏です。

終楽章は、ふしぎな形のピアノからはじまります。それを楽しげな弦楽器群が引き継ぎ、不思議な旋律は明るい光の下で輝くのです。チェロもジプシー的なえんそうそして祭りを盛り上げてもいるようです。それにしても第一ヴァイオリンのおとが美しいのに耳を奪われました。この音と、レオンスカヤのピアノの音を聴きに来ただけでも、オーディオ耳的には大満足です。静かに曲は終わり、万雷の拍手が来ました。その拍手に答えて、アンコールは、今一度三楽章を再演したのです。

大満足の演奏会です。レオンスカヤのピアノの音の素晴らしさを満喫しました。これが、シューベルトの時の同じピアノとは信じられません。

Bellwoodさんとは会場を出たところから、昂揚した心を押さえきれず、感想を述べ始めました。上野駅の周辺はお花見見物の人でごった返しています。そのまま上野の坂をおりて湯島まで歩き、行きつけのバーで乾杯しました。風邪で二週間きついお酒を断ってきていたので、一口目のドライ・マティーニが文字通り五臓六腑に浸透していく感覚を味わいました。Bellwoodさんはそのあとモルトウイスキーをストレートをダブルで飲んでいましたが、私は、グレープフルーツジュース入りのロングカクテルで、喉のやけを癒していました。

しかし、今回の東京・春・音楽祭は、本当に感動しました。主宰をされている実行委員長の鈴木さんには毎日お目に掛かっているのですが、鈴木さんも人目を避けておられるので、なかなかお礼の言葉はかけにくいですね。お近くでマスクを掛けた同年配の髪が薄いおじさんが、何か言いたそうに、もじもじしていたらそれは私です。決して不審者ではありませんから(爆)!

鈴木さん 素敵な音楽会を10年も続けて来られてありがとうございます。




一週間の上野までの音楽旅行 

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東京・春・音楽祭に土曜日から土曜日まで一週間の音楽旅行を行いました。八日間のうち五日間も上野に通ったのは、勿論生まれて初めてです。家から上野までは、地下鉄丸の内線で四谷まで行き、そこで中央線の快速に乗り換え、神田で山手線の内回りに乗り、公園改札口で降ります。

最初の3月28日に上野駅のホームに降りたら、公園口の階段が一杯でした。ようやく上に登ったら、そこは人で溢れかえっていました。改札のまえでも駅員が交通整理をしています。そう!お花見の人手なんです。余りの人の多さに、桜の方に行こうという気も起きませんでした。花冷えの言うのでしょうか、夜は寒く、まだお花見という感じにはなれません。最初の晩は、レオンスカヤのシューベルトでした。素晴らしい演奏で、帰り道は大変満足して、来たルートをそのまま帰りました。

二日目は、3月31日の火曜日です。月曜日にもメルニコフのショスタコービッチの24の前奏曲があったのですが、行きませんでした。前もって買ってあった演奏会は、最初のレオンスカヤと、Bellwoodさんからお誘いがあった、この日のドッビュッシーの前奏曲と最後のワルキューレだけでした。それでも、三回も上野に足を運ぶのは大変だと思っていたのです。

電車一本で来れる中央線沿いではなく、二回乗り換える上野は、実際にはそんなに掛からないのですが、精神的に遠く感じます。小一時間あると着いてしまうのですが、行くときより帰り道は、より遠く感じますし、時間も掛かるようです。上野から神田で中央線で乗り換え、四谷で丸の内に乗るのが一番早いと思っていたのですが、本当は、荻窪駅まで中央線快速で来て、丸ノ内線を一つ戻るのが、一番早いようでした。終わってから気がつきました。

遅い時間に丸ノ内線に乗ると、車庫に入る中野富士見町行きがきて、また中野坂上で、運転間隔が長くなった次の荻窪行きに乗り換えなければなりません。やはり荻窪まで来た方が早かったですね。特に二日目の31日は、Bellwoodさんと別れて神田駅まで来ると中央線のホームから人が逆流していました。ようやくホームに上がると、東京行きの電車も止まっていて、30分ぐらい来ないとのこと。仕方が無く秋葉原まで戻り、総武線の高い階段を上り始めたら、今度は総武線も動かないというアナウンス。またまた引き返し、御徒町まで戻って、大江戸線で新宿まで戻ってきました。そして乗った電車が中野富士見町行きだったのです。結局、帰って来れたのは12時近く。疲れました。

でも、そのメルニコフのドッビュッシーがとても良かったので、次の日は当日券を買って、次のショパンの前奏曲も聴きに来ました。ピアノは前日のプレイエルではなく、普通の?スタインウェイでした。何だか音が物足りなく感じました。その日は、一人でしたので、乾杯もなく、お腹を空かしたまま、四谷経由で戻ってきました。お腹が空いて、途中の美味しい札幌ラーメンやさんに誘惑されそうでしたが、何とか戻ってきました。夜食べてしまうと、次の朝1キロは違いますから。

四日目のボロディン四重奏団とレオンスカヤのピアノ五重奏も、ここまで聴いてきたので聞き逃してはと思い、二枚だけ残っていた券を当日の朝購入しました。この日も、結果的にはBellwoodさんと一緒。彼は前からこの演奏会を買っていたので、前方席でした。しかし、小ホールは一番後ろでも近いですから、後ろの席でも問題なく聴けました。この日は、ヤマハのピアノで調律も良く、レオンスカヤの音も充実していました。気持ちが良い演奏でしたの、気分も高揚!お花見がえりの人混みに押されて、上野のお山を降り、湯島のバーで歩き乾杯!また大江戸線で戻ってきました。

3/28、3/31と二晩出かけたあとの四月一日に、入り口で何やらスタンプを押しているのに気がつきました。音楽祭に来た数だけスタンプを押して、三回目、五回目と粗品をくれるそうです。翌日、いそいそと、前の入場券と、無かった日はパンフレットを持ってスタンプを押して貰いました。貰ったのは、パンダのビスケットか、二枚ぐらい入っている薄いおせんべいでしたが(笑い)。

結局、最後の4/4のワルキューレでスタンプ数は五個になりました。一週間に上野のお山に五回通った証拠ですね(笑い)。最後のワルキューレは、ようやく大ホール。改修後は始めてかも知れません。前回来たのは何時だったか思い出せません。娘の小さいときにバレーを見に来てたのをうっすらと思いだしました。

でも、東京文化会館大ホールといえばは、ムラヴィンスキーですね。あれから40年以上も経ってしまったとは思えません。しかし、あそこがすべての出発点でした。上野のやまに来ると、あの頃の事が思い出されるのです・・・・。

東京春祭『ニーベルングの指輪』ワルキューレ

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東京・春・音楽祭の目玉は、やはり演奏会形式で行われるワーグナー・シリーズの演奏会です。指輪は、昨年の『ラインの黄金』に引き続き二回目になります。ワルキューレの公演は、1987年の横浜県民ホールでのドイツ・オペラによる指輪、同じく横浜県民ホールで2002年のベルリン国立歌劇場の指輪を見てきました。1987年の公演は、日本で初めての指輪の引っ越し公演で、とても高かったですね。舞台もトンネルの中のイメージで、妙な感覚がしたのを覚えています。

二回目のベルリン国立歌劇場はバレンボイムの指揮で、ゆったりとしたテンポと、金管楽器の咆哮忘れられません。歌手陣も良かったです。そして、2007年のNHKホールでのトリスタンも行きました。その、2002年のジークリンデも、2007年のイゾルデも、今回も歌ったワルトラウト・マイヤーが歌っていたのです。

トリスタンとイゾルデの熱唱は、しっかり覚えていますが、歌手の名前を覚えないで、聴いていたので、以前に何回もマイヤーを聴いていた自覚がありませんでした。三年ほど前BSで放送された、ウィーンフィルのガラコンサートに、マイヤーが出て来て圧倒的なイソルデの「愛と死」を聴いて、驚きました。その時でも、ヘアースタイルが違っていた所為もあり、2007年に聴いていたイゾルデと結びつかなかったのです。どれだけいい加減に聴いているのか、自分でも呆れます。

で、今回は、火曜日の公演でジークリンデも歌い納めになるかもしれません。イゾルデも七月のミュンヘンの公演が最後だそうです。ぎりぎり自覚して聴くことが出来ました。ミラノのスカラ座で、バレンボイムの指揮で歌ったイゾルデは、圧倒的です。そういうわけで、第一幕の楽しみは、そのマイヤーの歌いっぷりでした。心なしか、瘠せたような気もします。他の共演者と比べると、小柄な身体です。短く切った髪が似合いますね。

ワルキューレの序曲からN響は力が入っています。とてもいつも聴いているN響とは違ったイメージです。先日、横浜で聴いたヤルヴィの時も感じていましたが、金管楽器のメンバーが相当入れ替わり、不安定さが無くなりました。何時もはらはらしながら聴いていたのが嘘のように安定したハーモニーを聴かせます。トロンボーンやチューバも、そして一番不安だったトランペットもやる気に満ちています。

今までとの大きな違いは、ライナー・キュッヒルをコンサートマスターに迎えた弦楽器群です。ウィーンフィルの第一コンサートマスターを今年の夏に定年で辞めるとは思えない力強さで、弦楽器をひっぱていきます。ウィーン国立歌劇場のコンサートマスターとして、何百回このワルキューレを演奏しているのでしょう。その効果は、ウィーンフィルと同じ様に歌う、チェロ群に現れました。最初のチェロのソロで、全く今までのN響のイメージを払拭しました。弦のボーイングもピッタリと揃い、まるでウィーンフィルの弦楽器群です。

何よりも驚かされたのは、ヤノフスキの見通しの良いステージに思いっきり鳴らす指揮と、それに答えて鳴らし切る打楽器群の音のいさぎよさです。ティーレマンの時の自信なげなウィーンフィルよりマシだと思いました。都響が打楽器もこのぐらいならせれば、凄いオーケストラになるのにと何時も感じていたフラストレーションをまさか、N響が払拭するとは驚きました。

まさに、ヤノフスキが目指しているベルリンの音がしています。昨年のデ・ワールドの時やマゼールの時も片鱗を見せていた、力強いN響の響きが目一杯出ています。コントラバスも、動きは出ているのですが、ストロークが甘いのか、音量が出て来ません。この素晴らしいチェロ群には、10本は必要だったと思いました。しかし、ワルキューレの音楽としては充分すぎるほどでした。

第一部は、あっという間の終わり、30分の休憩を挟んで、第二部です。いつもは、この第二部が長く飽きてしまうのですが、今回は、フリッカ役のクールマンが上手で、思わずヴォータンに同情する始末です。翻訳は少し変ですが、同時対訳があると、リアルタイムで歌手の表情も解り、劇に引き込まれます。正妻は強いと実感しました(苦笑)。

そして、ブリュンヒルデとヴォータンの娘と父親の対決、愛情は涙無しには見られません。N響も第三部は少し、管楽器が疲れてきましたが、第一ヴァイオリンを引っ張っているキュッヘルはますますすごく、ヤノフスキの棒もスケールが大きく全体の構造が大変良くわかる指揮振りでした。テンポは速く、もっと濃い演奏をと言う声もあるでしょうが、音楽的には大変解りやすく、スケール感も出ていました。N響からこのような奥深い音が聞こえるとは思ってもいませんでした。ヤルヴィ、ヤノフスキと新しいN響のこれからの音を聴けたような明るい展望が見える良い演奏でした。

終わってから、熱狂した一階の前の方のファンは、皆スタンディングでした。演奏会形式のほうが音楽が分かり、オーケストラの音もしっかりと聞こえ、スケール感も出ました。ハープが5台並ぶとさすがに壮観ですね。

      写真 東京・春・音楽祭 公式ページより

演奏会後の復習と感想

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演奏会の前の予習を余りしないのは、予断を持って事にあたりたくないからです。その代わり復習は可能な限りします。演奏会の印象が薄れないうちに、いろいろと聴き比べることもあります。今回の演奏では、ピアノ五重奏曲がそうでした。また感想を書くので、文献やCDを聴いて印象をまとめました。そうやって聴くと、二重の意味でその音楽を知ることが出来ます。同じ演奏家のCDが有れば、一番印象は近いはずですが、録音したときと、演奏会では解釈が異なっていることもあります。今回のように楽器が違う場合は、全く異なった印象を受けるときもあります。そういう変化が生の演奏会の楽しみの一つです。

武蔵野文化会館で、ヤノフスキのブラームスの交響曲を聴いた時から、今回のワルキューレは期待が持てました。問題は、常任のベルリン放送交響楽団と違って、本当は、NHK放送交響楽団と言うべきNHK交響楽団との音の違いです。また、ドイツのオーケストラの特徴である、ぶれないスケールの大きなホルンや他の金管楽器がどこまで、深く、暗い音が出せるかに掛かっていました。そいて、ワルキューレと言えば、冒頭の低弦楽器、特にコントラバスの量感が出るかに掛かっていました。

ヤノフスキの演奏スタイルは、どちらかといえば、全体像と時間軸の再現に重きが置かれていて、部分部分を強調していく演奏スタイルではありません。全体のパースペクティーブを重視していて、オーケストラ全体を見渡せるような広角レンズ的な演奏だと思いました。ですから全体像がでてくるところの迫力は、とてもいつものN響とは違った音がしていました。

しかし、N響のコントラバスの迫力の無さには、少しガッカリしました。反面チェロはとても奮闘していて、美しい音はウィーンフィルの特徴有るチェロ群のような感じもしたぐらいです。キュッヘルが引っ張る、ヴァイオリン群もいつものN響とは違った、腰の有る音を出していました。木管群が、オーボエとクラリネットの安定性が欠けていましたが、良く奮闘した方でしょう。打楽器群もいつもとは違ってかなり積極的な鳴らし方をしていたのは、好感が持てました。これは指揮者の指示でしょうね。

その、オーケストラ全体のバランスを確かめる為に、先週の日曜日も、また今朝も、定番のショルティ・ウィーンフィル、カイルベルト・バイロイト、カラヤン・ベルリンフィルの演奏を聴いてみました。ショルティの演奏は、レコード史上最も優れた録音だと思います。いまだにこの世界を越える録音は無いからです。音楽の記録(レコード)の枠を越えて、レコードの中に小宇宙を作り上げています。音量、バランス、音色、歌手の移動の様子、あたかもオーケストラの頭上を飛び回って音楽を聴いているような感じさえしてきます。

カイルベルトのバイロイトの実況録音盤は、1955年の演奏です。1955年にステレオで収録されていたことも驚きですが、このような偉業が、レコード会社の思惑や人事異動で封印されてきたことが、余りにも勿体ないと言えましょう。固定された三本づつのマイクでオーケストラと、歌手達の声を生々しく録っています。こえにくらべてオーケストラの音が悪いという声も聴かれますが、どんな装置できいたらこの音が良くないと言えるのか、わたしには解りません。この音を聞くと、この60年間殆ど音の進歩は無かったもいますし、とんでもなく進歩しているとも言えるのです。その差を、同じCDと言う媒体で聴けることが、本当の驚きです。

その差は、発音体を聴くオーディオと、その音が出ている音場を聴くオーディオと言えば解りやすいでしょうか。前者の代表がオールホーンで聴く方法ですし、後者が私が平行法で再現を目指してる音場型のSPです。そのどちらで聴いてもすごいのが、このショルティの一連の録音です。空前絶後と言っても良いでしょう。

この圧倒的な演奏と録音を基準にすると、同じ様な感動を生の演奏に求めるのは、無い物ねだりにもなります。演奏会では、聴いている場所が相当影響すると思いました。私が聴いていた二階席の最前列でも、文化会館では相当後方になり、エネルギーが足りないからです。だから言って、余りまえすぎても、歌手の声を聞くには良いでしょうが、あれだけの大編成のオーケストラだと全体のバランスが良く聞こえる場所の選定も大変だと思いました。文化会館の一番音が良い席とはどの辺なのでしょうか?40年前のムラヴィンスキーはどこで聴いても、とんでもない音がしていました。そう考えるとオーケストラの実力がきこえてしまう会場なのでしょうか!



上野の山の桜は見なかったけれど

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一週間上野に通ったというのに、お花見の余りの人の多さに入り口でひっかえしてきた桜ですが、東京は終わりましたが、山の方はこれからが桜の季節になります。高速道路で、トンネルを越える度に季節が少しづつ戻っていきます。山の木も少しずつ柔らかな緑に変わり、芽吹いてきました。先週は、めずらしく東京にいた週だったので、上野に毎晩通えたのですが、今週は、いつもの出張が続いています。

その出張中に、浜松に泊まることが出来て、久しぶりに、プー博士のお宅をお邪魔いたしました。久しぶりに訪れるお部屋は、T4とTANNOY IIILZが共に床に置かれていました。以前は、IIILZは置き台の上に置かれていたのですが、T4と同じ方法で床に置かれています。この置き方は、T4用に私がセッティングしたのですが、IIILZをこの方法で聴いたことが無かったので、興味深く聴かせていただきました。

セッティングもほぼ完璧で、IIILZから音場が後方に展開してきこえます。これは、考えてみれば当たり前なのですが、家の部屋でも実験したことがなかったので、良い音にビックリ!CDプレーヤーはStuderの730にQuadの44プリと405IIのパワーアンプという、茅野の家とほぼ同じ構成です。茅野で鳴っていた時には、この平行法に少しだけ上向きにする方法は、試したことがありませんでした。

音場が入っていそうなPHILIPSやDGの輸入盤を探して掛けて見ました。良い音です。この少し上向きにする方法は、ESL-57の上向きをまねてみたのです。すると、音ががらりと変わったので、床置きにする場合は大変有効です。

殆ど位置は合っていました。さすがにプー博士は、調整方法も習得されてそれをIIILZで応用されたのです。私が調整させていただいたのは、右のSPを1mm程後ろに下げることだけでした。それでも幾分音の密度が上がったように思います。前後の調整はかなり厳密に行えば、音が左右で打ち消さなくなります。

先日はとても楽しい時間をありがとうございました。いい音に調整したと思っていたのですが、GRFさんのほんのちょっとの手直しで、透明感が増え、低音がよりよく出て、なおかつ上下の音の広がりが出てきたのには驚きました。

こちらこそ、プー博士のセッティングに驚きました。あそこまで達しているから、後ほんの少しで、あれだけ変わるのですね。槍ヶ岳の槍の穂先と槍ヶ岳小屋の標高差は、たった75メートルですが、景色が一変します。あの少しの差が、透明感、上下の展開がでてくるのですね。あの少しの差の大きさを実感して頂き良かったです。一度、その景色の差を知れば、ご自分で調整ができるからです。


名古屋からの帰り道、久しぶりに茅野の家に寄りました。しばらく鳴らしていなかったR.GRFを鳴らして見ました。44+405の組み合わせは、プー博士と同じです。CDプレーヤーは、石田さんが、最後に改造してくれたXA-1200ESを使用しています。何時聴いても、バックロードの余裕有る低音が素敵です。オーディオの一つの終着点ですね。


いつもの原村から甲斐駒方面です。今日は、東京も雨のようです。山の桜でも眺めながらゆっくり帰りましょう。



日曜日は満員御礼

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一週間の音楽旅行に行った後の先週は、溜まっていた仕事のこなすのに精一杯。後半の出張から戻った土曜日は今までの疲労も重なり、午前中プー博士の訪問記を書いただけで、午後は殆ど死んでいました。昼寝して夕寝して時々起きて居眠りをするという状態で、気がついたら日にちは変わって、日曜日になっていました。日曜日の午後には久しぶりに、オーディオ関係の初めてのお客さんが来られるので、コンシーケンスを仕舞っただけで、そのまま結線も行っていない「GRFのある部屋」も音が出るようにしなければなりません。

老人力が増してくると、無理した結果が翌日ではなく、遅れて現れてくるのです。今回の出張の疲れだけではなく、先週からの音楽会の疲れやイベントが終わった虚脱感が、身体を動かなくさせているのでしょう。前線の影響で冷たい雨が続いていますので、気圧の低さも影響しています。今日は、emmのソフトウェアーのアップグレードも夕方にはあるし、最近会っていなかったOさんも来るようです。今日のお客さんの「にらさん」が最近訪問されたBellwoodさんも、上野の春・音楽祭最終日の演奏会を聴いてから、夕方合流されるとのこと。夕方からは大忙しですね。

しかし、和室以外の音は、まだ何も鳴りません。"Consequence"を片付けたので、そちらの部屋に行っていたemmも和室に戻さなくてはなりません。ステレオアンプがモノラルアンプになったので、棚の上がパワーアンプに占領されて、emmが帰ってくるところがないのです。そこで、CD34改を下に降ろして、場所を作りました。この作業で午前中の元気がほぼ無くなりました。とほほ、、、。

にらさんが来られるのは二時頃ですが、音を確認しておかなければならないので、結線だけしなければはじまりません。久しぶりにT4を出してきて、平行法の実験をしようと思いました。いつものポジションにおいて微調整をしているとき、そうだ!このずれを利用して、ピントのあった場所とほんの少しだけずれている場所の違いを聴いていただこう、と思い立ちました。それで、1mmだけ動かした音の差を実験をしてみました。ずらしても殆どあってはいるのですが、最後の1mmで音が、平板から立体的に変わるのが解ります。面白い試みかも知れませんね。

そんなことをしながら、順番に結線していき、GRFも久しぶりに鳴るようにしました。こちらは、レコードだけですが。T4は、MS-1とSD05を使用します。それにCD34改をアナログ入力に繋ぎました。それぞれ音出しをして、鳴ることを確認したら、ようやくお昼です。安心してお昼を食べたら、またウトウトしてきて、電話に気がついたらにらさんがもう到着されていました。お車で来られたので高崎のお蕎麦だとか、味噌漬けとか、有名なお菓子だとか大変な量のお土産を頂き、大変恐縮致しました。クッキーも甘いタイプと、ワインに合うタイプがあり、車でこられたにらさんには申し分けなかったのですが、お帰りになられてから、残りの四人で頂きました。ありがとうございます。

はじめて来られた、にらさんにどちらからお聴き頂くか考えたのですが、まずは殆どの時間を過ごしている和室の音の方から聴いて頂きました。いつもの定番のCDですので、充分の下準備をされてこられたにらさんには馴染みのCDだったようです。まずは、ハイティンク・コンセルトヘボウのショスタコーヴィッチ第15番の交響曲の第一楽章。これは何時聴いても面白い曲です。

同じくハイティンクのシカゴを振ったマーラーの第三番からこれも第一楽章。こちらは、大迫力で大太鼓が活躍します。さて、音の印象は如何だったでしょうか?ユニコーンそのものが初めてだと思われますので、他のSPとはまったく違う音の出方がどう感じられたのか、ご感想をお聞きするのが楽しみですね。

先程、棚から出されて、たたみの床の上にリラクサを介して置かれたCD34改はいつもの音より幾分軽めでした。雑味が少ないとも言えるのですが、その微妙な違いを、私はどう詰めるか考えていました。クラシックは余りお聴きにならないとのことでしたので、リクエストでトニー・ベネットのブルースのデュオのアルバムをお聴かせしました。リクエストがあったのは、最初のダイアナ・クラールと11番目のビリー・ジョエルとの共演のトラックです。こちらもいつも聴いている音より、低音が軽めの音がしました。ケーブルも同じなので、違うのは、置き方だけです。

初めてお聴きになった方は、とても信じられないでしょうが、大型のスリーウェイ以上の帯域で、位相がピッタリとあった音がします。昔、オールホーン型のSPで追い求めていた音です。不思議ですね。でも、そういうオーディオ的な表現では表せないその場の雰囲気を再現するように努めてきたので、各々の個性有るSPが奏でるコンサートホールの違いが出ると良いなと思っています。二階席から俯瞰しているようなユニコーンのホール、T4の後方に展開する大ホール、デコラのぞくぞくする様な声。昭和の音楽会場にワープするGRF等、音楽が流れている会場にどこでもドアのように行けるのが、楽しみですね。

お車で来られたにらさんが帰られた後、美味しいお土産をつまみにして、6畳の狭い和室に大きな身体の4人が、遅くまでワインを飲んで話が盛り上がりました。Bellwoodさん、Oさん、Hさん、昨日は、何だかワインを飲みに来ただけでしたね(爆)。




テープの館のHさんのご感想

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GRF様

昨日は、お忙しい中、時間を作っていただき、ありがとうございました。少し、お伺いさせて頂いた時の感想を述べさせて頂きます。

昨日は、非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。お昼に到着した我々(Sさんと私)に、「近くに、日本蕎麦の店で、美味しいところがあるけれども、2月一杯はやっていないが、多分今日は、やっているだろう。」と、そこに案内するよと、言われました。心に多少の不安を抱きながら、徒歩4、5分の所にあるお店に辿り着きました。いかにも、和風の少し寂の利いている小綺麗なお店で、蕎麦を味わい会話を楽しめる空間作りがされていました。

ご馳走になった蕎麦は、GRFさんが、選んだ蕎麦だけあって絶品でした。私の勤務地である秋葉原では、夢のまた夢の味でした。ちなみに、秋葉原には、立ち食い蕎麦屋しかありません。最近まであったお店も閉店しており、久々の美味しい蕎麦を堪能させて頂きました。これから、聴くであろう音楽のためには、ちゃんと腹ごしらえが必要であるとのGRFさんのご配慮だったのだと思いました。ご馳走様でした。

さて、GRFさんのご自宅にもどり、案内された部屋は、ブログを拝見して、日頃写真では慣れ親しんでいる部屋でしたが、今日、とうとうその部屋に来られたんだなと、喜びがひとしおでした。私の友人のSさんは、3度目の訪問で、彼にとって本日のおめあては、Dynaudio のConsequence でした。これは、常人では鳴らしきれないと言うスピーカーで有名との事です。私の友人は、GRFさんが、どのように鳴らされているのかを是非とも聴きたいと、同行されたのでした。

はじめに、Thielemann のウイーンフィルから始まりました。

突然、オーケストラのステージが、目の前に出現して来ました。すでに、スピーカーの存在は、消えてしまっています。リスニングルームの端から端まで、床から天井まで、多分、音楽は、家の外にまで、エネルギーが放出された事は、間違い無いと思えるほどでした。音楽が、飽和しない、これだけ音楽が部屋中に充満しているにもかかわらず。不思議な体験をしました。

圧巻は、ペーター・シュライヤーとリヒテルの「冬の旅」でした。シュライヤーが、右や、左に向いて歌っている様が、手に取るように分かるのです。「このような完成された音楽を毎日聴いていると、自分の人生の上がりを感じてしまうので、Sさんにお聞かせしたので、このスピーカーは、またお蔵入りにしたい」と、GRFさんは、話されておりました。私たちは、その直前に、お邪魔することができたのです。

なぜ、音が飽和しないのか、不思議でなりませんでした。それには、いろいろとお家に仕掛けがあったのです。その理由をお聞きして納得が行きました。実は、GRFさんは、このリスニングルームに置いてあるconsequence を鳴らすために、今のお家を建てられたとか。このスピーカーだけでは、今の音作りはないのかも知れませんが、私の家でも、GRFさんにかかれば、近い音が出るのではないかと、Sさんが話してくれました。つまり、セッティングの技術ということだと、Sさんに言われてわかりました。

GRFさんは、小さな地震等の振動でも、位置はずれてしまうので、聴くときはミリ単位の調整が必要なんだと。このスピーカーは、私が相手にできるものではなさそうでした。また、GRFさんの耳は、常人の耳では無いと直感しました。謙遜されてあまりご自分の事は、話されませんが、耳と音楽に対する感性が無ければ出来うるものでは有りません。私たち凡人は、出来る方のお世話になるしか有りません。これだけの耳と感性をお持ちであれば、この分野でも成功されていることは、間違いないと確信します。それで、我々は、幸いにも、GRFさんの好意でその耳と感性にお世話になっているのです。

小休止して、今度は、私の訪問の目的であったユニコーンのスピーカーを聴くチャンスがやってまいりました。ブログでは、和室に置いてあるはずのスピーカー。全方位出力のスピーカー愛好家としては、何としても聴きたかったのです。コンシーケンスと同じ様に、いろいろと聴かせてもらいました。私のスピーカーは、やはりドイツ製で4種類の全方位型のスピーカーが付いているのですが、ユニコーンは、一角獣というの名の通りスピーカーは1個で、全ての領域をカバーするものです。当然かも知れませんが、自然です。

ジャズは正面から、オーケストラは2階席から聴いている感覚でした。その訳をGRFさんに質問したところ、録音したように聴こえるのです、と。特に、低域の量感が豊かで、こんな筈ではないと、思わせる鳴り方でした。既に虜になってしまいました。また、このSPは購入可能とのことです。このユニコーンなら私にでも鳴らせるのではないかと、待ち遠しく思って来ました。

Sさんは、お仕事の関係で、夕方、帰られたのですが、私は、まだ、肝心のテープ談義が出来ていないので、もうしばらく、お邪魔させて頂きました。テープ談義は、ディープな世界に突入してしまい、GRFさんとお付き合いさせて頂くしか無いと決意した次第です。

丁度、お腹も空いてきたなと思ったので今度は、GRFさん行きつけのイタリア料理のお店でご馳走になり、ここで、思いがけなくも、GRFさんのお仕事の研究内容をお聞きして、共通するアイデアを頂き、仕事の面でもご指導を頂くことが出来ました。本当に今回の訪問は、趣味だけでなく、仕事の面でも有意義なひと時を過ごさせて頂きました。GRFさん本当にありがとうございました。丁度、降りかけていた雨も止み、お宅を後にさせて頂きました。GRFさんをご紹介してくださったSさんにも本当に感謝申し上げます。

H

このHさんからのお手紙は、三月にSさんと訪問していただいた、翌日に頂いておりました。一緒に来られたSさんのお仕事がお忙しいので、訪問の感想が一週間ほど遅れるとご連絡を頂き、Sさんのご感想と一緒に、掲載させて頂こうと思って、準備はしていました。

ところが、老人力のなせる技で、Sさんのご感想は載せさせて頂いたのに、先に頂いていたHさんのご感想をすっかり失念してそのままになってしまったのです。翌日には熱いメールを頂いていたのに、Hさんには大変申し分けないことを致しました。

その後、秋葉原に移られた『テープの館』に寄らせて頂き、改めてHさんのテープに込める熱い思いを再確認させて頂きました。

訪問させていただいたのは、丁度上野の音楽会に通っていたときです。新しいお部屋は、まだ倉庫状態なので、完成されたらじっくりとご報告させて頂きます。でも、もう、一つのお部屋には、ユニコーンが導入されていました。

高崎までの小旅行 にら邸訪問記

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今日は先週来ていただいた「にらさん」のお宅のある高崎まで行きます。高崎に行くルートは三通りで、新宿からこの湘南新宿ラインで行くか、大宮まで埼京線でいき、高崎線か北陸新幹線でいくのと、東京駅から新幹線にのる方法です。最短で一時間半、最長でも二時間ちょっとです。その三十分の差に3000円の差が生まれます。如何に新幹線が高いかですね。午前中は元気だし、乗ったことがないので好奇心もあり、新宿駅から高崎行きの湘南新宿ラインに、780円奮発してグリーン席の二階に乗りました。

新宿駅を10時13分発です。山手線の貨物線を走る列車は、池袋で埼京線と別れ、田端の手前から東北線の貨物線へと入り大宮までは、東北線、京浜東北線、湘南ライン(貨物線)と3ラインが平行に走ります。そのあたりの線路の行き来が面白いですね。特に大宮駅のまでは、上り下りが入り乱れます。その大宮を過ぎるとようやく高崎線を走るようになり、篭原駅で、前の五両を切り離して、そこから各駅停車の普通になります。深谷を過ぎるとき、線路に平行して有名な桜並木が見えました。

各駅停車の駅名は、初めて聞く名前も多く、興味津々で見ていました。駅に着くごとにアナウンスで、ドアの開閉をする場合はボタンを押してくださいと言われます。終点の高崎駅についても、自動ではドアは開かず、先頭の人はじっと待っていました。終着駅では、自動で開けて欲しいですね。

高崎駅の周辺は、どんどん再開発で生まれ変わっている最中です。この街にこんなに大きな施設を作って大丈夫なのかと言うぐらいの箱物行政がまだ行われているそうです。「にらさん」のお宅は駅から歩いても五分ぐらいの近さですが、空は一遍に大きくなり、家の混み具合なども、とてもそんな近い距離にあるとは思えないほど、余裕がある街並みです。

その中の、ひときわモダンな造りの素敵なお宅が目的地でした。チャイムが解らずドアをノックしたら、おばちゃんが開けてくれました。中に入り、勝手に進んでいくと奥の部屋が、にらさんのリスニングルームです。中から音楽がきこえてきます。一時間ほど先行して来られたBellwoodさんが、音を聞かれているからでした。

にらさんからは、何年も前からGRFのある部屋にメールを頂き、平行法のご相談を受けていました。お部屋は、六畳有るかどうかの大きさだと伺っていましたが、実際に入ってみると実質五畳ぐらいの大きさです。今まで、いろいろなお宅を拝見してきましたが、一番小さい部屋ですね(笑い)。半地下的な構造なので、天井は高く取れていて、3.3m有るそうです。それがかえって視覚的にも部屋の大きさを小さく見せているのかも知れません。


この様に写真を撮ろうと思っても、iphoneのカメラでは、充分な広角ではないので、入り切りませんでした。仕方がなく二枚に別れています。その部屋を横位置に使われています。今までも、縦にしたり、横にしたり試行錯誤をされてきたそうです。その部屋で、一時間先行して聞いてきたBellwoodさんは、大体問題点が分かったと言われました。Bellwoodさんが、早く来られたのには理由があり、夕方に澁谷であるピアノリサイタルに戻らなくてはならないからです。私の到着時間に合わせていたのでは、お昼を食べに言っていると時間が無いので、一時間早く来られていたのです。こちらの方面ですと阿佐ヶ谷と赤羽の差が出ます。

早速聞かせて貰いました。この場所は、寸法的に場所を選び、置かれた場所だそうです。たしかに見た目は殆ど合っているのですが、音のステージが、中心から反時計回りに3〜5度ぐらい回転している様にきこえました。Bellwoodさんも同じ事を話されていたそうです。そこで、左側のSPを少し後ろに戻し、音を時計回りに回転して音像のずれを直して見ました。左後方に装置があるので、空間が狭く、反対側の右側がその分音が希薄に感じるので、あえて、右のSPを気持ち内振りにして、音を濃い方向に持って行っているそうです。

モノラルのエラ&ルイを使って音の中心を探ると、まだ、少しだけ左に寄っています。それで、今少し、左側のSPを押してピントを合わせてみました。まだ細部までは合わせていませんが、大分聞きやすい領域に入ってきました。グリモーのモーツァルトのピアノ協奏曲も大分バランスがよくなっきました。

そのあたりで、滞在時間が短いBellwoodさんの時間節約のため、高崎名物の美味しいトンカツを奥さんがテイクアウトしてこられました。久しぶりに美味しいトンカツでした。これはランチ用の厚さなので、単品用はもっと美味しいとのこと、今度はお店に出かけて、豚汁も頂かなければなりませんね。

テイクアウトを頂いたのは、明るい食堂です。ベランダの開放がとても素敵で、Bellwoodさんとまるで、渡辺篤のお宅訪問にでてくるようなお宅だと意見があったぐらいです。食べながらも、Bellwoodさんは、もうすこし左右の間隔を狭めたらどうかと言われます。

食事を終えて、再度聴いていたら、殆ど時間が無くなったので、東京に戻る彼の替わりに、SPの間隔を狭めてみました。3センチぐらいずつ狭めてみたのですがすると中央部に音が集まり、少し音が窮屈になり、厚みが出過ぎます。そこで、すこし戻して、元の位置より1センチぐらいずつ寄った位置で、ぴたりと左右の音場が合いました。そのあたりで、精密な調整も試みます。それは目の前で、SP自身を左右に少し動かし、音が一番大きく聞こえたところに合わせるのです。微妙な差でも、音は変わります。絨毯の上でゴム足を動かすので、下の位置と、上に乗っているSPの中心線がずれてきます。
それを最後に合わせてみたところ、にらさんもご満足いただけるスポットに入ったようです。そうなれば何のCDを掛けても、問題なく音楽が楽しめるようになります。にらさんも、この音は以前も鳴ったことがあるのですが、再現出来なかったとのこと。そこで、基準の位置からどのくらいずらすとこの音になるのかと質問されました。しかし、それは反対で、基準の印は必要ですが、いくら寸法をとってそれに合わせても、温度、湿度、気圧、によっても、位置は変わって来ます。今の位置は今日の結果であって、その寸法が大事なのではなくて、実際に音を聞きながら合わせていく過程と、調整方法をでてきた音で覚えれば、自分でその音を再現することが出来るようになるとご説明しました。経験を積んで頂くしかないのです。

今日のBellwoodさんとの会話で、同じ様に音場を聞いているし、彼が行っている調整の方法も同じです。経験を積まれ、その差が見えてきたのです。そして、ご自分の中に、基準の音がなっているのですね。にらさんには、今鳴っている音でなるべく様々な分野のCDを聞いていただき、その音を憶えていくしかないとご説明しました。  

先日来られた時に、ユニコーンで聴いていただいた、ハイティンク・シカゴのマーラーの第三番・第一楽章。タッドさんのアルゼンチンの教会で録ったSerá Una Noche。トニーベネットのブルースのデュオアルバムから、ダイアナ・クラールとビリー・ジョエルをきいて、満足していただきました。部屋の狭さを全く感じない、大空間が生まれています。面白いですね〜


帰りも駅まで送って頂き、駅中のビアーホールで、こんにゃくのペペロンチーノを頂きました。面白い味ですし、カロリーを気にしなくても良い料理で、面白いと思いました。にらさん、いろいろとごちそうさまでした。狭かった五畳の部屋が、広大なコンサートホールに化けていると思います。ピッタリ合えば、そこにコンサートホールへのどこでもドアが出来ます。ぜひ、今の音を憶えて楽しんでください。

帰りは、頂いたビールで気が大きくなり、新幹線で東京駅まで戻って来ました。事実上野では誰もおりませんでした。上野の替わりにターミナルである赤羽駅に新幹線が止まってくれる方が便利なのですが、、。

休みの日は中央線の快速は、高円寺・阿佐ヶ谷には止まりません。荻窪駅まで行って、丸ノ内線で戻ってくるのが、一番早いようです。高崎までの小旅行の記念に、荻窪の駅ビルで、シュウマイ弁当と富山の鱒鮨を買ってきて、家に戻ってから、駅弁として食べました。今日は、食べ過ぎですね(笑)。





6336Bアンプ二号機とEMMのアップデート

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2月に到着した6336Bppアンプ一号機は、順調にエージングをこなしてきましたが、二ヶ月遅れで、二号機が到着致しました。パワートランスのカバーをフェラリーレッドに塗られた二号機は、プロトタイプの前作と比べて格段の存在感があります。
この次ぎに作られる、三号機は、前の5933アンプと同じ、ホンダイエローに塗られます。行き先は、ユニコーンの愛好家にお嫁入りが決まっています。

プロトタイプを二ヶ月間聞いてきて是枝さんに要望を出した点があります。そこを、この二号機は回路の変更や定数の変更も含んでおり、より実在感がある音になりました。まだエージングが済んでいませんから、音は厳密な意味では比較できないのですが、随分と変わりました。交代にプロトタイプだった一号機を送り返して、より広く球の差にも対応するように変更して貰います。

また今週は、二年間使って来たemmのDAC2Xのアップデートを行ってもらいました。去年5月のミュンヘンのショーでデビューした新しいファームソフトです。今回入れ替えたのは、その時のヴァージョンから比べると、三世代新しくなっているそうです。中のボードも交換して対応しました。emmのDAC2Xは今までも、デジタルらしからぬ音でしたが、今回のアップデートでは、アナログ音源と殆ど同じ音質にまで、進化しました。

ソフトウェアの変更というと、部分的な改革のように思われるかもしれませんが、今回の変更は抜本的な改良になりました。実際にその差をお聴きにならないと、その変化の大きさに驚かれないかもしれません。今回のアップデートは、DACX2のプログラムを全面的に書き換えがなされました。デジタルインターフェイス、5.6MHzと6.1MHzへのアップサンプリング、高域フィルターやその応答、DACのリニアリティ、クロックの方法、その他の多くの改良を施したそうです。

それらを、実際に使われている現場での反応や要望を取り入れて、改良を施されてきたのです。まだ、EMMは正式には、アップデートをアナウンスしていません。私のはβヴァージョンで、一種のモニターです。中のデジタル・インターフェースボードは交換され、プロセッシング・ボードは新しいソフト用の仕様になりました。

結果として、全く別な次元の音になりました。一番大きな違いは、解像力とステージの大きさです。エド・マイトナーの強みは、電源の設計、アナログ回路の設計、それらの機器への実装技術に長けています。今回のアップグレード作業でも、ビスの取り付け方、ワッシャーの選択一つにまで、神経が行き届いています。EMMは、前の代理店時代に、相当な不義理を消費者に行い、ファンが離れました。私が購入したのはその後で、代理店が変わってからです。その時は円高で80円時代の事です。現在は$は急騰して120円です。それだけで1.5倍の値上がりをしたことになります。私の時は、国産車の価格帯でしたが、今は、高級外車の価格帯になりました。

しかし、今回のアップグレードされた音を聞くと、ライバルに対して、大きな差を付けたと思います。ソフトウェアの開発とその大きな差は、知る人ぞ知るという状況になり、聞かれた方は確実にまたファンが増えていくことでしょう。私の知っている限りでは横浜のMさんしか、同じヴァージョンをおもちの方がいないのですが、スタジオ関係者やコアなファンは、やはり使っているようです。

私は、いまだに14bit/44.1KHzのCD34を改造した機械も使い、ソースによって使い分けてきました。SACDの繊細な音などを聞くときは、勿論emmを使って来たのですが、繊細なのですが、力強さが少し欠けていた気がしていました。今回のアップグレードで、その不満が無くなり、ステージの大きさや、腰の有る音が、38/2トラを彷彿させます。もっともそれより遥かにS/N比がいいのは当然です。

円安によって、価格は上昇しましたが、その分以上の音の差が出たと思います。誰にでもすすめられる価格帯ではありませんが、新しいバージョンは、その価値以上の差が出て、二号機のアンプと組み合わせて、聞いてきたCDをすべて聴き直す喜びが訪れました。

狭軌の沙汰 2

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先日、新宿から、湘南新宿ラインで、高崎まで行ってきました。湘南新宿ラインは、ご存じの通り、貨物山手線から、貨物東北線を通り、大宮からは、高崎線・宇都宮線を通っていきます。大宮駅は、乗り換えのために、京浜東北線・東北線・高崎線・貨物東北線(湘南ライン)・埼京線・秩父線・新幹線と入り乱れ、実にホームの番数は、22番線まであり、常磐線も出ている上野駅と同じホームの数です。その広い構内を、湘南ラインは縫うように走っていきます。鉄道ファンならずともその面白さはにはまります。車窓から眺めていてもそうなのですから、今度は先頭車両で、ビデオに撮ろうと思いました(笑)。

その車線を、見ていると、これがすべて標準軌のレールだったらどんなに乗り心地が安定するのかと思いました。と、言うのはやはり湘南新宿ラインも、相当な横揺れを感じるからです。JRだけに乗っていると解らないかもしれませんが、新幹線がゆっくり走っているときの安定感を知ると、その差を感じます。

皆さんも、駅でレールを見ることがあるでしょう。ぴかぴかに磨かれていますよね。でも、今度チャンスがあれば、新幹線のレールを見てください。内側の半分しか磨かれていません。レールの表面の外側は錆びたままなのです。それが何も意味しているかというと、何時も車輪がレールの内側だけに触っていて、外側に揺れないと言う事です。そうです、列車が横揺れしないで走っているのです。


それは地下鉄丸ノ内線や銀座線でも解ります。もっとも、地下鉄は相当旧いし、レールの保線も新幹線ほど頻繁には行われませんから、外側がさびていると言うところまではいけませんが、それでも、磨かれた具合が異なるのが解るでしょう。

JRの通勤用の快速電車は、100キロ以上の猛スピードで走っています。福知山線ほどの急カーブではありませんが、中央線の大久保あたりからのカーブも相当な物です。狭軌の軌道で安心して走れるスピードは、80キロぐらいだと言われていました。それを日本が誇る?最新の技術で、低重心にしたり、軽量化したり、さまざまな技術を駆使して高速化を図っています。それはそれで、素晴らしいのですが、根本的な乗り心地の悪さや不安定さは改善されてはいません。

埼京線の乗り心地の悪さ、いま、私が乗っている千歳線の猛烈な横揺れなどの不安定さは、新幹線には全く感じないのです。ヨーロッパでも良く電車に乗りますが、オランダやドイツの電車の安定感、乗り心地が無いのです。

関西の私鉄は、みな標準軌です。その為、楽々とハイスピード化と乗り心地の安定性で、集客を果たしているのです。スピードの差は、関東でも京成や京急が果たしていますね。それに引き替え、西武や小田急の不安定さはそのままです。

福知山線のような事故が起こってからでは遅いのです。また、事故の原因は、線路の幅ではなく、人事管理の問題だと、必死になって打ち消しを計る質問サイトの関係者を見ていると、肝心な乗り心地と安心感が全く置き去りになっています。満員電車の寿司詰め状態ばかりではなく、満員電車のひどい揺れに寄る疲労は全く考慮されていないのです。首都圏の乗車率の高い、通勤線と札幌千歳の様な幹線だけでも、標準軌化を計り、乗り心地の良さと安全性を改善して欲しいのです。

すべて変えなければ、実現不可能だという、極端な反対論ではなく、その限定された線だけでも、三線化から、じっくりと、時間を掛けて、車両の更新をしていけば出来る話だと思います。リニア新幹線に何兆円も出して、需要が本当に有るのでしょうか?出来上がる頃には、我々は生きていないから、どうでも良い事なのですが、標準軌化は今すぐにでも出来る改善です。

今一度、新幹線がゆっくり走っているときの、走行安定性を思い出してください。何時までも、植民地用に開発された簡易鉄道の規格に固執しているのは、如何に日本が大陸から切り離されたガラパゴスだとしても、恥ずかしいし、怠慢と言えましょう。少しずつ少しずつ改善して行くしかないのです。新幹線の車両が、そのまま在来線の線路をゆっくり走っても、良いではありませんか?そのメリットは計り知れません。そして、整備されたところから、スピードアップすればいいのですから。

新幹線金沢開通とはしゃいでますが、線路の幅さえ改善しておけば、そのまま、新幹線車両が在来線も走れるメリットを考えて欲しいと思います。新潟に行く、新幹線MAXの車両はすべて、二階建てです。通勤線もすべて二階建てでも一向に構わないのです。一階を通勤型に、二階をボックス型の座席構成にすれば、定員も増やせます。

JRの発想の中に、居心地を良くすると言う項目が無いのかも知れません。居心地や安定性では、お金を生まないと近視眼的に考えているのでしょう。大陸と地続きの韓国までは、ヨーロッパからすべて標準軌で繋がっています。北朝鮮の列車が開通すれば、夢のオリエンタルエキスプレスが、ロンドンからでも来れるのです。

戦前の時刻表を見ると、東京駅を午後三時にでた特別急行列車富士が、下関で連絡船に乗り換え、釜山の駅で待っているのは、新京行きの特別列車でした。標準軌の線路を走り、二週間後にはヨーロッパに到達していたのです。

国鉄が分割されてJRの六社によりもっと自主性が出て来ても良いように思います。JR九州のあの車両が、標準軌をベースに作られていたら、独自性も出ているし、韓国との間の列車フェリーも有ったかもしれません。そして、北海道こそ、一番やりやすかったのですが、、、。千歳から大量に押し寄せるアジアの観光客をあのお粗末な車両に乗せたりするから、大陸の観光客に呆れられているのです。

ここまで話して、何故私が標準軌に固執するかお解りでしょうか?安全性は運営の仕方です。乗り心地を良くしたいという事でしょうね。新幹線から別れる寝台列車とか、途中下車してゆったりと回る、二泊三日、三泊四日の乗り心地のよい寝台車。オリエント急行そのものを走らせればいいのです。勿論、標準軌にしてもJR北海道見たく線路の保守を行わないとしたら、何の意味もありません。標準軌にしたら楽になるモーターの設計や、中古の車両も世界中に輸出できるのです。新幹線だから特別のなのではなく、ゆっくり走る標準軌が有っても良いのです。その時、乗り心地や安定性と安全性のマージンが高くなるわけですから。

昔、東京駅まで特別急行列車富士の一等展望台を東京駅まで見に行ったことがありました。白い線が入る一等車の展望車は、確かに豪華でしたが、思ったより小さく感じました。ヨーロッパで見る寝台車は、堂々としています。乗り心地がやはり違うのですね。今一度、想像して下さい。新幹線がゆっくりと走っているときの乗り心地と安定性で、寝台車や食堂車が走ってくれたら!どれほどの熟年のカップルが、喜んで乗りに来ることでしょう。






にらさんのご感想

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GRFさま

今回のGRFさんのご訪問は、お狭い部屋事情での音響に悩めるいちブログ読者に立ち上がった、まさに匠の「劇的ビフォーアフター 」でしょうか。あの登場BGMが流れてくるようです。

まず驚くべきことは、拙宅の画像です。GRFさんが左右のスピーカーをそれぞれ一枚ずつ交互に撮られていますが、手持ちのスマホで帰り際にそれぞれサクツと収めたにも関わらず、ほとんど左右対称です。床面積に注目すると良く分かります(笑)。その一瞬にも、ずば抜けた平行感覚が現れているような気がしました。GRFさんのブログ画像の構図の美しさは、全てその一瞬で出来上がっているのですね。

で、拙宅の話です。今でこそ、この部屋で当たり前のように音楽が流れていますが、同じソフトでも数日前と今では、こんなに違うのものなのかと思います。大きく何かを変えたわけでもなく、最後の方のほんのちょっとの調整で、まさに「 なんということでしょう~! 」by 劇的ビフォーアフターの世界です(笑)

これまで何となくステージが出来ていたつもりが、実は片側だけイビツなまま脳でちょっと補修作業をして、それにずっと慣れてしまって今日まで来てしまった気がします。試聴の時聴いたSerá Una Nocheも、空間の右側~中央は何となくできていても、左側だけは濃くて近かった。でもまあ多分こんなもんだろう、という自己完結。この脳内補修作業が、考えながら聴くことがいかに音楽を煩雑にしていたのか、今となっては痛感しています。

この感覚の差異は、家でCDを聴いているだけで、しかもジャズやポップス・ロックなどメインですと中々辿り着けない境地のようにも思えました。セッティングは確かにおっしゃるとおりお金はかかりませんが、生のコンサートホールに通うなど、その感覚を取得するまでの様々な投資も必要ですね。センスがないのも致命的です。

あとBellwoodさんも言っていましたが、そのミリ単位で変わる世界を信じているかどうか。自分はそれを信じていたのと、かつGRFさんの恩情と自分の運と、あと美味しいトンカツがあって(笑)、この体験ができた幸せ者です。

リスニングポジションから動いても定位が変わらないなんて、信じられない人が普通ではないでしょうか。広く繋がった空気感が、動かずポッカリと確かにあります。これ全部本当だったのですね。こんな狭小部屋の拙宅でも経験できたことが、嬉しいです。

とにかく夢が広がります。

このオーディオ業界は、もはや成熟というよりインフレ化、というよりスタグフ化*しつつありますが、バイヤーもユーザーもいい加減こういった「モノよりコト」の重要さに気付かねばいけませんね。ショップなども生き残りをかけるならば、手腕で差別化を図れば経費が少なくて効果は絶大と思います。一般の人が普通にGRFさん宅にあるような体験ができるなら、もう一度ブームが来たって不思議ではありません。法外な値段の改造や胡散臭いアクセサリーが巷に蔓延ってますが、釣るほうも釣られるほうも、いけません。私も精進せねば!

GRFさん、この度は遠方よりありがとうございました。

スタグフレーション(stagflation)とは、経済現象の一つであり、「stagnation(停滞)」と「 inflation(インフレーション)」の合成語で、経済活動の停滞(不況)と物価の持続的な 上昇が併存する状態を指す。by Wikipedia


にらさんから、先日の訪問のご感想が来ました。喜んでいただけて嬉しいです。五畳ほどの空間で、音場を出す努力をされてきました。何年も前から、質問が送られてきました。参考までに写真を送って下さいとお願いしたら、狭すぎて左右のSPが入らないぐらいだったのに驚いたのを覚えています。今回、実際にお伺いしてみると、やはり聞きしに勝る狭さに驚きました。私なら、やはり違う部屋を考えたかも知れません。またお子さんが可愛い盛りですから、今少ししてからオーディオに専念されたらとも思いましたが、それが出来るぐらいならご相談されません。自分もそうでしょうね(爆)。

実は部屋の狭さに音場の出現はそれほど妨げにはならないのです。ピッタリ合えば、魔法が掛かったように大空間が出現するからです。しかし、その誤差が、よりシビアになります。ほんの少しの差でその魔法が掛かったり外れたりするからです。たった一ミリの差なんですが。

結果は大成功でした。Bellwoodさんのアドヴァイスも参考になりました。にらさんの喜んだお顔が見れて、何年もの努力が報われたようで、嬉しいです。今回はSPだけの調整でしたが、機器がまともなら、どの部屋にも、その魔法の世界が出現します。それがステレオの不思議なのです。

三号機はOさんに

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第一信

さっき届きました^_^
トランスの色合いはこんな感じです。
これから火入れ式を始めます(笑)


第二信

聴きました。

凄い、の一言です。

まさに初めてオーディオマエストロを訪れた時に聴いた音味です!
興奮したのでメールしました。
すみません。


第三信

     「是枝6336Bプッシュプルアンプの音味」

GRFさま

とうとう待ちに待った憧れのアンプが2015年4月21日に到着しました。思えば何年待ち焦がれたでしょう。初めて是枝さんのショップであるオーディオマエストロを訪れた際に聴いたアンプです。真空管アンプを自作して楽しんでいた私は、管球王国に掲載される是枝さんのアンプに憧れ、訪問したのです。

その時試聴したセットがこの6336Bプッシュプルアンプの初期タイプと、今我が家に鎮座しているスピーカーの組み合わせです。そもそも記事で読んだ6336Bアンプの音が聴きたくて訪れたのでした。

だが、その時は、このモノラルデコラから取り出したタンノイダイレクトラジエーター12を、ピアノブラックに美しく塗装されたコーナー箱に収めたこのスピーカーの音が素晴らしく、その場で購入してしまったのでした。あの時、何故スピーカーとアンプをセットで買わなかったのか、と後悔してから10年です。

あの時の音味が忘れられず、なんとか再現したいと思い続け、今やっと実現しました。このアンプは初期タイプから基本構成は変えずに、細かいところを見直したアップデートバージョンともいえるタイプですが、この6336Bという球自体が持つ高い性能と、その卓越した回路構設計により、初期タイプのものと全く同じ音味がします。

プッシュプルアンプとは思えない、音の切れ込みと彫りの深さ、抜群のS/Nと空間表現、そして信じられないほどのワイドレンジな出音、深い低音としっとりとした中域、そして音が空間に舞って降り注ぐような高音域。

間違いない、あの時の音味です!

ただ、簡単には鳴ってくれません。今までのアンプとは音の出方が全く違うため、スピーカーセッティングから見直さないといけないのでした。

鳴らし始めは全く低音が出なくて慌てました。GRFさんのところで第一号アンプを聴いていたので、こんな筈はないと、一つ一つ点検し、やっとSPの位置がスイートスポットに入りました。スピーカーセッティングは、最悪な出音の隣がスイートスポットだったりするので悩ましいですね。

いつも試聴用にかけるゲルギエフの「春の祭典」、ハイティンクの「ショスタコービヴィチ15番」、ムラビンスキーの「チャイコフスキー6番」と「ショスタコーヴィチ8番」、ヤノヴィッツの「リーダー」、カラヤンの「ベト7」、最後は友人の先輩から教えて頂いた、アルゲリッチ&アバドの「ラベルピアノ協奏曲」と一気に聴き惚れました。

どれを聴いても不満はありません。こんな音のアンプは初めてです。シングルアンプの様な透明感とプッシュプルの力強さが共存しています。ダメなプッシュプルアンプに特有の、反応のニブさや、音の滲みなど微塵もありません。この音こそ、自然なのではないでしょうか。今までのアンプの音はやはり作られた音なのではないかと感じてしまう、そんな音です。

簡単には入手出来ないアンプですが、聴き出してまだ数日で、エージングもこれからです。これから待ち続けた10年の時を埋めるべく、聞き込んでいきたいです。

このアンプが実現するまでの下りはGRFさんのブログに詳しいので、詳述は避けますが、GRFさんには感謝の思いで一杯です。史記に「蒼蠅驥尾に付して千里を致す」とありますが、わたしもGRFさんのしっぽに捕まり、ご一緒出来たことでこの素晴らしい経験が出来ました。心から御礼を申し上げたいと思います。

O



Oさん 

とうとう到着しましたか!長い10年間でしたね。岡山の是枝さんをご紹介していただいたのは、Oさんのおかげです。Oさんのこの6336Bのアンプに対する思い入れが、HartleyやDecolaを知る切っ掛けにもなりました。その6336Bppアンプでならす、デコラ用の幻のタンノイのSPの音を聴かれているのですね。オーディオに限らず、趣味と言うことの本質を今回の出来事が、表しています。さまざまな困難を乗り越えるから、喜びも一段高まるのだと思います。

私の最初の印象も、「シングルアンプの様な透明感とプッシュプルの力強さの共存の不思議さ」でした。バイアスでの音の変化は、全く教科書に書かれているとおりですが、これほど劇的に効くアンプも、そうはありません。無いよりも圧倒的なのは、その低域の深さとスケールの大きさです。

現在は、ユニコーン専用に鳴らしていますが、他のSPでも順次試していくつもりです。5月の連休の楽しみですね。一緒にいろいろ実験しましょう!



紀尾井ホールとフェリアホール

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紀尾井ホールのシューベルトの交響曲「ザ・グレート」の和音が鳴り終わり、最初のカーテンコールで、席を立ち、まだ、扉を開け切れていない玄関を急ぎ足で飛び出すと、目の前のタクシーがいました。たった700mの距離なのですが、飛び乗り永田町の地下鉄の入り口へ。時計をみると、4時25分になろうとしています。次の急行に飛び乗れれば、ひょっとしたら、開演に間に合うかも?複雑な地下道をおりて半蔵門線のホームへのエスカレーターからは、沢山の人達が上がってきます。私としては、めずらしく小走りに走ったのですが、ホームに着いたら、急行は行ったばかりでした。次は、37分です。これならば、タクシーに乗らなくても良かったのにと、反省しました。その10分の長かったこと。

半蔵門線の中は各駅ですが、澁谷からは急行田園都市線の中央林間行きになります。前の急行に乗れたら、青葉台駅は17時6分です。ひょっとしたら、演奏がはじまる前に滑り込めるかも、何て思っていましたが、次の電車は、到着は15分ですから、これは間に合いません。第一曲目が終わったら、第二曲目の間に入るしか有りませんね。諦めてホールにゆっくり入ると、会場のテレビが中の様子を映し出しており、SPからは、演奏の音が聞こえてきます。その音を聴いても、江口さんのピアノがさえきっているのが解ります。ヴァイオリンの音は、旋律しか追えませんから、演奏の判断は、中に入らなければなりません。しかし、素晴らしい熱演であることは、外にいても解りました。



最初のプログラム第六番のヴァイオリンソナタが終わったところで、席に着くことが出来ました。続く曲は、第八番ト長調です。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、ヴァイオリンの為の曲ではなく、ピアノソナタ・ヴァイオリン付きという感じですから、ピアニストが良くなければ面白くありません。CDやレコードでは、シェリング・へブラーの名盤やクレーメル・アルゲリッチの力演、先日聴いたメルニコフがピアノを弾くイザベル・ファウストなどを良く聴いています。川久保さんの音は、どの様に聞こえるのか楽しみでした。SPから聴いていた六番もすごい演奏でしたが、八番も冒頭から、攻めています。今日のピアノは、1887年製のNYスタインウェイで、1779年製のジョバンニ・グァダニーニのヴァイオリンとどの様な響きを醸し出すのかが、今日の演奏会の今一つの楽しみで、私としては初めての演奏会の梯子までして青葉台まで来ました。

ストラディバリウスとは違って、高音は甘い音色です。川久保さんの弾き方も、柔らかで素敵です。反対に、優しくなるピアノも、強打のところは、あえて、ピアノフォルテのような響きを出して江口さんが弾いています。第二楽章のメヌエットの柔らかい響きが、とても心地よいです。二人の息はとても良くあっていて、掛け合いの妙を楽しむことが出来ました。ピアノとヴァイオリンのハーモニーがリズムの交換から浮かび上がってきます。最後のクレッシェンドからピアノの軽やかな響きが、鳴り響き、グリサンド気味になって柔らかく終わるところは秀逸でした。

第三楽章は,軽やかな展開で、この銘器のヴァイオリンの切れ込みの良さが良くわかります。ピアノとの掛け合いを感心して聴いている内に,あっという間に終わりました。こうなってくると、聞き逃した第六番の第一楽章を聴いてみたいと思いました。

休憩時には、紀尾井の演奏会は、昨日に振り替えて青葉台には悠然と来られたBellwoodさんを見付け、軽く感想を話しました。その時は、川久保さんの音ではなく、紀尾井のティンパニーの音色について、あれだけが残念だったと意見が合いました。マレットをフェルト付きに替えればいいのですが、どうしてあの音にこだわるのか?指揮者の指示はないのだろうか?とか、主に、グレート交響曲の話しでした。前半のヴァイオリン協奏曲は、満足していますので。

第二部の七番は、好きな曲です。この曲も八番と同じで、冒頭のピアノが印象的です。この曲は、前の七番とはまったく違うピアノの音色がしました。まろやかな感じで、ピアノの製造が20世紀に入ったような音色で演奏されたのには驚きました。逆に現代ピアノを使っている演奏、例えばアルゲリッチなどは、この強奏の部分をピアノフォルテ的な響きを出して弾いているからです。ベートーヴェンのハ短調らしい響きです。

第二楽章は、ベートーヴェンの曲だとすぐ解る旋律で、ピアノとヴァイオリンの交互の旋律の受け渡しが見事ですね。お互いが主旋律を弾いているときの、伴奏が華麗に装飾されます。こういうときの川久保さんの音色のコントロールの見事なこと。江口さんのしっかりとした技術に裏付けされた、自信が急速なグリザンドでも力がみなぎります。このあたりは、アルゲリッチが本当に見事な演奏ですが、今日の江口さんも全く負けていませんし、男性ピアニストの優位性も感じられました。

三楽章のスケルッオも、ピアノの三連符が見事です。そのピアノの迫力有る音に、互してヴァイオリンの力強い響きも見事です。本当に音色のコントロールと多様性に優れたヴァイオリニストだと感心しました。力強さと柔らかさ、それに情熱を傾ける演奏、時々見せるユーモア、どれを取っても余裕のあるプロフェッショナルな演奏でした。ともすれば、よい子ちゃんになってしまう、我が国の演奏家の中では、河村尚子、小菅優、などと同じ、世界に飛び出しているいわば、外人演奏家のような厳しさと、安心感のある演奏会でした。

そして、素晴らしかったのは、アンコールの曲です。サラサーテの『アンダルシアのロマンス』、モンティの『チャルダーシュ』、最後はクライスラーの『美しいロスマリン』でした。余りの巧さに、それらの収録されたCDを購入して、ついでにサイン会まで並びました。先頭から五人目だったので、すぐにサインをして貰い、川久保さんには演奏と楽器の素晴らしさを伝え、江口さんには、ピアノの音色の違いを聞いたところ、即座に曲によって音色を考えて演奏していると答えてくれました。

Bellwoodさんは、明日もあるのでと、先に帰られてしまったので、一人でお店に入るのもつまらないと思って駅に急ぎました。案内板を見ると、急行が来るまで10分間有ります。駅構内の蕎麦屋さんによって、きつね蕎麦をかき込み、急行に揺られて帰って来ました。やはり狭軌の軌道を100キロ以上で飛ばす電車は、不安定で、横揺れが激しく不安定です。演奏家と同じ様に、電車も海外と同じ土俵に上がらないと、安定感が出ないかと感じました。

せっかく買ってきた川久保さんと江口さんのCDでしたが、録音がクラシックの取り方ではなく、オンマイクで、肝心の響きがきこえず、少しガッカリしました。これは録音スタッフのセンスの問題です。昨日の川久保さんの生演奏は、あれほど柔らかい響きがしたのですから。

川久保さんのベートーヴェンは来年も行きたいと思いました。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲

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土曜日の紀尾井シンフォニエッタ東京の演奏会は、アマ・チュマチェンコさんを迎えてのヴァイオリン協奏曲二曲とシューベルトの交響曲第九番(八番)のザ・グレートでした。チュマチェンコ先生と呼んだ方がふさわしい著名な教育者でもあります。長年ミュンヘンの音楽大学の教授を務めて、エリザーベートコンクールやシベリウスコンクールの審査員でもされています。育てたお弟子さんは沢山活躍されていて、今日の紀尾井シンフォニエッタ東京のコンサートミストレスの玉井菜採もその一人。玉井さんはその、エリザーベート王妃コンクールとシベリウスヴァイオリンコンクールの優勝者でもあるのですね。

今日はそのチュマチェンコさんとお弟子さんの玉井さんとの共演で、モーツァルトの二つのヴァイオリンの為の協奏曲ハ長調とチュマチェンコさんのヴァイオリン協奏曲の第四番二長調が演奏されます。玉井さんがコンミスをされる時の紀尾井シンフォニエッタは音が丁寧になり、柔らかな響きになります。それが考えてみるとチュマチェンコさん風の演奏スタイルなのかも知れません。

会場に入ると、いつもとは違うオーケストラ配置でした。最初の曲はヴァイオリンが二台なので、指揮者とコンサートマスターの間が開いています。配置も、私の言うところの不知火型(両翼型)の配置で、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが右左に別れ対向しています。低音楽器は、中央部位配置され、コントラバスは、正面に来ていました。ウイーンフィルのニューイヤーコンサート見たく、正面ひな壇の上に来ると、迫力が出るのですが。

最初の曲は、「2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ」これは初めて聴く曲でしたが、いかにもモーツァルトらしい、軽快でウィットに富んだ曲です。二つのヴァイオリンが掛け合いながら進行していきます。チュマチェンコさんの深い音と、玉井さんのきれいな音の対比が美しいです。弾き方は、全く同じなのですが、でてくる音が違います。これが個性の違いなのでしょうか。勿論楽器の音色の差もあるでしょうが、チュマチェンコさんの演奏は、ゆったりと深みのある音ですね。師弟が同じ曲を弾くという、玉井さんに取っては、緊張もするでしょうが、誇らしい瞬間でのあります。特筆すべきは、読響の蠣崎さんのオーボエのソロと、林俊昭さんのチェロの雄弁な歌い方は、この四つの楽器の為のコンチェルトーネとでもいうべき熱演でした。蠣崎さんのオーボエは何時も聞いているのですが、今日は一層音色がまろやかで、美しい響きでした。

二曲目は、玉井さんがコンミスに戻り、そうそう、前の曲は、N響次席の大宮さんが、コンサートマスター席でした。N響の時もそうですが、大宮君自体は、個性的な感じがせず、どのコンサートマスターにも合わせられるニュートラルな感じなのです。その彼が、オーケストラを引っ張るときは、どの様に音が変わるのか、楽しみでした。私の予想に反し、オーケストラは、力強く深い響きで、対向配置の性もあるのですが、ゆったりとした演奏に感心しました。最も、テンポの設定は、指揮者であるサッシャ・ゲッツェル さんの大きな解りやすいい指揮振りから来るのでしょうけど、二曲目の玉井さんに戻った時は、やはり玉井さんの少し慎ましい響きに戻ったのが印象的でした。

ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調KV218の方は、いつもよく聞く曲です。チュマチェンコさんの演奏スタイルもがらりと変わり、スケールが大きな演奏になりました。音色の幅が拡がり、音の強弱もはっきりとして、メリハリが素敵です。何よりも低弦の音の深さが、同じ楽器とは思えぬ程です。若いモーツァルトの曲とは思えず、モーツァルトの天才性が曲の間から見えてくるのです。余裕のある演奏スタイルは、他の誰とも違う響きです。演歌で言えば、わびさびの部分の歌い方が、コクがあるのです。スープに美味しいバターが加わったような、まろやかだけど深みのある味に変わったのが、驚きでした。聴衆の満足度も高く、終わってからも、何回もカーテンコールに呼ばれました。指揮者のゲッツェル さんもチュマチェンコさんの演奏には、敬意と尊敬を表していました。

休み時間は、知っている方にお会い出来なくて、残念でした。休み時間もゆっくりとお席の方で、感激を味わっておられるのでしょうか?


さて、休憩が終わると、シューベルトの最後の交響曲第九番(最近の番号では8番)のハ長調の交響曲、『ザ・グレート』です。私は、数ある交響曲の中でも、一番好きな交響曲かも知れません。以前も準・メルクルさんの項でも書きましたが、この曲はブラームスの交響曲よりも、様々な演奏家でレコードやCDを持っています。一楽章ごと楽しみが替わり、どの楽章も楽しめます。冒頭のホルンは難しく、どうなることかと半分心配していましたが、フレーズは短く、破綻無くスタートが切れました。次は、蒸気機関車がゆっくりスタートしていくような、弦楽器の動きが美しいパッセージです。

第二楽章のオーボエも見事です。管楽器は、トランペットの音量が幾分一本調子出、大きいように感じました。また、トロンボーンもその傾向にありました。今回は、音量的に盛り上がりがすくなかったようにも感じましが、全体的には瑕疵もなく、良い演奏でした。しかし、水戸の時のような感動は押し寄せません。その一番の原因は、ティンパニのマレットの選択です。一般的なフェルトを使用したタイプではなく、小太鼓のバチのような、先の細くなったマレットを使用しています。ティンパニストの近藤さんの確信的な信念なのでしょう。ロマン派の演奏では、通常のマレットを使うのですが、モーツァルト、ベートーヴェンだと、棒だけを使用するのです。それがシューベルトのロマン的な交響曲に合うのかは、大変私は疑問です。

水戸のローランド・アルトマンは部分的には、部分的にフェルトの無い柄の方を使用して効果を出していましたが、普通のところは、フェルトありの方を使用していました。先のとがったマレットでは、和太鼓を叩いているようで、シューベルトの曲想とは合わないのです。ティンパニストは指揮者とは話し合いをして決めているのでしょうか?

紀尾井のオーケストラのメンバーは、弦楽器が8・6・6・4・2で、管楽器は2管でトロンボーン3本という編成です。昨年の水戸の演奏と同じですが、今回は、弦楽器と管楽器との間のバランスが微妙に管楽器の音量に弦楽器が負けていました。その点、水戸の演奏は、最終のコーダは、弦楽器群も盛り上がり、どんどん前へ前へと進んで行って感動したのですが、今回はそこまでは行きませんでした。指揮者の指示は大変分かりやすく、一生懸命だったのですが、、。

シューベルトは名演でしたが、そのティンパニだけが、画竜点睛を欠くと行ったところでしょうか。私の中には、前半のモーツァルトの素晴らしさだけが残りました。


平行法の音場の出方

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今までも、SPの置き方やその調整法については、何度か書いてきました。最近は、ますます老人力が増していますから、書いたことさえ忘れてしまいます(苦笑)。時々、自分で読み返すと、結構、懇切丁寧に書いていますね(笑)。しかし、いくら文章で書いても、実際に調整された音を聴いた事がないと、難しいようです。でも、まずはこのあたりをご参照ください。

セッティングについて
部屋との相関関係-1
部屋との相関関係-2
部屋との相関関係-3
部屋との相関関係-4
部屋との相関関係-5

そして、実際に実践をされて、それでもと言うことになれば、ピッタリ調整されるとどの様に音が変わるかを、ご自分お部屋で調整してもらうしかないのかも知れません。それを先日の「にらさん」のお宅でも実感しました。位置は殆どあっているのですが、合ったときの音がどの様になるかのイメージがないと、その最後の調整が進まないからです。

そして、調整を難しくしているのが、殆どあっているときと、ピッタリ合っているときの差が、近ければ近いほど、その差も大きいのです。全くあっていなければ、逆に気にならない差が、会えば遭うほど、見えてくる感じです。それは平面的な二次元のずれではなく、奥行きもある三次元の違いなので、厳密に合わせていくと、左右の見た目が違う事が出て来ます。それがなぜ、平行になっているかは、SPの前のバッフルで合わせているのではなく、SPの振動するコイルの位置で合わせるからです。その意味で、SP自身の工作の精度、ネジの締め具合も関係してきます。

調整しているところを見ていると、最後の微調整のところで、SPをほんの少し動かすのに、軽く叩いたり、重いSPの場合は、足で蹴りながら1mmぐらい動かしていきます。その様をトントンコツコツとかいわれていますが、それは本当に最後の段階です。勿論、聞いている部屋がちいさければ小さいほど、その調整の範囲も狭くなってきます。しかし、そのあたりと見当をつけたら、少しづつ動かし、実際に音を聴いてけば差は解ります。

平行法と交差法では、音の立体感が、広報に展開するのと、前方に浮かび出てくる違いは有りますが、比較的狭い部屋ですと、部屋の左右を一番広く使える、コーナーにおいた交差法が、楽にステージが拡がり、お薦めです。

平行法は、SPの位置決め、間隔決め、前後の微調整、動かすファクターが多くあり、難しいと言えましょう。また、聞かれる音楽がホールで、生音を収録するクラシック音楽以外のスタジオ録音では、ニアフィールドの平行法にこだわる必要はあまりなくなります。その場合は、壁にある程度近づけた位置からスタートした方が、現実的ですね。

そうして、ピッタリとあった平行法で、会場の音場情報がしっかりと収録されている録音を聞くと、ビックリするような、音場が現れます。インバルの一連のマーラーの録音。昔のRCAのLivingStereoのシリーズなどが、二本、または三本のマイクロフォンで取られた録音です。現在の録音でも、アンビエンスをしっかりと捉え、個別にマイクを補助的に使っている録音は、その音場がしっかりと現れます。ハイティンクの録音は、レーベルを問わず、自然は音が入っています。

歌謡曲が中心ですと、私は、交差法の方をお薦めしますね。家で言えば、GRFが交差法の典型です。45度交差ですね。それ以外は、中央の席で聞く、狭い聴取エリアになってしまいます。それはそれで、しっかり調整すれば良い音なのですが、、、

横浜のMさんの新しい音

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横浜のMさんところで新しい世界をみてきました。今回は、Toubadour 80と使っているウーハーのTW2の足を替えたので,その使い勝手と正確な位置調整のお手伝いにお伺いしました。Mさんの豪華な部屋の床はしっかりとした厚手のカーペットが敷かれています。そのカーペットに、トラバドール用に作られた重いウーハーの四角い足が食い込み、一人では動かせなくなっていました。それを、一人でも動かせる様にと、接地面を緩い球面に加工した足に交換したのです。Mさんの二つのSPの位置は、パラゴンをならすときには、前にあるToubadour 80が少しだけ邪魔をします。そのほんの少しの移動も、今までは、ひとりでは無理でしたが、今回は、微妙な位置調整も出来るようになりました。

私がお邪魔できたのは、夕方近くでしたが、大山君は、お昼頃から来て、Toubadourの配線とか、スーパーツイターの実験とかいろいろされていたようです。emmの Henryさんも来られて、DACの修理が終わった確認と、DACのファームソフトのヴァージョンアップの結果を確認に来られたのです。私は今回は、電源部の交換も行われているので、前のソフトのままで,一旦、音を確認してから、新しいヴァージョンとの比較が出来ると思ってきたのですが、家のボードと同じ様なタイプだったので、ヴァージョンアップをするには、内部のボードも新しいヴァージョンになっている必要があり、そのボード交換もファームソフトも既に新しくなっていました。

今日のTW2のセッティングは、低域のアンプが、今までのSD05かブライトンのパワーのあるアンプに変わっていましたが、一聴したところ、いつもの包まれるような音がしません。Mさんも幾分顔が曇り気味です。

確かに、音は堅く、音楽に伸びが無く、いつもなら会場に消えていく残響の響きまできこえるのが、その音が途中で切られたように無くなります。音が不自然なのです。二、三枚CDを替えて聞いて見ましたが、その傾向は同じです。家の和室ではスケールが大きくなったのに,逆な音になっています。

今までと違った点は、どこかと、探してみると、

1. まだ厳密には合わせていない、SPの位置。
2. 専用のおしゃもじ状のボードの替わりに、フローティングボードに乗っている
3. 低音駆動用のアンプが、SD05からブライトンになっている
4. 音が全体に左に寄って、ヴォーカルがどうしても中央に来ない
5. EMM DAC2Xの電源部が新品交換されている
6. EMM DAC2Xのデジタル・インターフェースボードが新しくなっている
7. DACの修理期間の二週間ほど、CD系は鳴らしていない

というところでしょうか?

そこで、一つ一つ検証です。まず、この段階でもSPの位置を詰めてみました。右の横に置いてある反響調整用のSylvanの位置を調整しました。パラゴン用の位置になっていたからです。これでだいぶ左右のアンバランスは直ってきました。マランツ7のバランスを1mmほど右にしていたのを元に戻しました。左右のバランスがあってくると、低音の躍動感が戻って来ます。

しかしまだ音が堅いのです。

CDを変えて聞いても、その傾向は同じです。無理矢理ウーハーが鳴らされているような感じです。ブライトンには、音量調整用のボリュームがないため、マランツ7からでた音は、また、EARの912プリアンプを通って、パワーアンプに運ばれます。その二重性と、インピーダンスの問題かもと思い、元のSD05に戻して頂きました。派手さはないのですが、本当に下の方まで音が抵抗なく伸びていきます。この段階で、まだ全体に音はこじんまりとしているのですが、音質的にはだいぶ元の音に近づいて来ました。またSylvanの微妙な位置調整をしました。

Mさんは、まだ、納得いかない顔をされています。これでは前の一体型のタイプと同じ様だといわれるのです。私も全く同感なので、Henryさんに、これはエージングの足りない所為なのか、電源部が変わったからほぐれるまで時間がどのくらい掛かるのだろうか?とかいろいろ質問してみました。新品でも三日間鳴らせばほぼ満足いく音になるとのことです。今回は、全部交換したわけではないので、1日半も鳴らせば、調子が上がってくるはずだと、彼の答えも歯切れが悪くなります。

これでは、まえのヴァージョンに戻さなければ、ダメかと思い始めました。しかし、家では、新しいバージョンの方が、明らかに良いのです・・・。

突然、Henryさんが、メガネケースを取り出し、中のマイクロファイバークロスを出してきて、一遍STリンクのグラスファイバーケーブルの先端を磨いてみましょうと言い出しました。というのも、DACが修理に出されていた二週間ほどの間、STケーブルは、キャップがないまま、放置されていたので、ひょっとしたら変わるかも知れないと言われるのです。まあ、確かに言われるとおりだけれど、先端がそんなに汚れるのだろうかと思いました。おまじないのように、先端を軽く磨くと、元の接続に戻されました。

一聴して驚きました。

今までの音は一体何だったんだと言うぐらい変わりました。Mさんも、私も、大山君も顔を見合わせました。Henryさんはホッとしています。いままでの堅い、スケールの小さかった音は、光ケーブルの先端の汚れだと言う事になります。二週間放置されてたことで、先端部分に大気の汚染が付いたのかも知れません。また先端がこすれてなにかが付いていた可能性もあります。

気をよくした我々は先程から聞いていたCDをすべて聴き直しました。音が柔らかく、ソフトのバージョンアップで聞こえるはずのアナログ的な音がしてきました。良い音になって来ました。誰が聞いても、これが普通のCDが鳴っているとは、思えないでしょう。

ここで、TroubadourとTW2の間のフローティングボードを外し、オリジナルのボードに変えました。音の一体感が出ます。リアリティも向上します。どんどん音が良くなります。ようやく、左右のSPの厳密な位置調整をする気になりました。それを聞いていたHenryさんは、今一度、ソフトをインストールし直そうと言うのです。車のファームソフトと同じで、自動的にハードとのマッチングをとているので、正常に戻った段階で、いまいちどソフトを白紙に戻してみようと言うのです。これはかなりマニアックです。変わらないかもしれないが、やってみる価値はあるというのです。またUSBを繋いで、再インストールを行いました。

やはり、変わった気がします。

微妙な差ですが、このくらい微妙な調整を行っているのですから、当たり前ですね。それからも、Troubadourの位置も、また0.5mmぐらい動かして、音の出方をスムーズにしました。音をならしながら、ユニットから聞こえてくる微妙な音量の差を聴いて位置を決めます。そして真ん中に来ると、ヴォーカルがピッタリと中央に浮かび上がっているのです。そうなる周辺音が変わり、雰囲気が一変します。おとが立体的に展開して、楽器の位置関係が空間に浮かび上がるのです。

Mさんが、満足したお顔に変わりました。ワインは白にするそれとも赤?と聞いてこられました。どちらでも!とHenryさんも私も同時に答えました。

いま目の前で鳴っている音は、聞いたことのがないと全く想像が付かない音の領域に入っています。三次元の空間がSPの後ろにも前にも横にも展開しているのですから。360度放射のTroubadourの真価が発揮されてきました。


満足した、私達は急にお腹が減ってきました。もう、八時を回っています。お腹が減って当たり前ですね。ゆっくりと食事をして、歓談しいました。Henryさんのお話しは面白い話ばっかりです。音にも、食事にも満足して、帰りは大山君の車の横で新しい、新しいトンネルをくぐって帰って来ました。横浜から、40分ぐらい戻れるようになりました。驚きの近さですね。

翌る日、Mさんからいまスイッチを入れたんだけど、昨日よりすごい音が鳴っていると喜びの声が聞こえました。連休にMさんのお宅を訪れる人にも、楽しんで頂けると思うと、嬉しくなりました。



六畳間のコンサートホール

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一昨日の、横浜のMさんの疲れか、週前半の片道6時間以上の車の運転か、前日の終日続いた打ち合わせ会議の所為か、今朝は、目が醒めたら九時になろうという時間でした。休みの日だから起こさなかったと家人に言われましたが、こんな時間まで、目が覚めないのは春眠暁を覚えずの様な物なのでしょうか?今日は九時から床屋さんを予約してあったのです。急ぎ、シャワーを浴びて、朝食は取らず床屋さんに自転車で向かいました。床屋さんの大きな鏡の中に写った顔は、やはり初老のくたびれた顔でした。体重は余り変わらなくても、くたびれた顔は隠しようもありません。それでも、伸び放題だった頭が、スッキリすると、1時間後には、まあまあ、普通の顔に戻って来たようです。

10時過ぎに、家に帰ってきて、朝食を済ますと、もう、10時半を回っていました。今日は、Hさんが、テープを引き取りに来るのと、新しいemmの音を聞きに来る日です。箱に入ったままのテープ類を、趣向に合わせて整理しなければなりません。あっという間に二時間は過ぎ気がつけば、約束の時間になっていました。

テープは、持って行って貰えば良いので、玄関に並べておきました。NYから送られてきた、50年前の貴重なテープ類です。テープマニアのHさんのお宅で、長い眠りから覚めて、良い音を奏でることでしょう。私も聴きに行かなければなりません。レコードやテープを製作するときのテープなので、音の鮮度は比べようがありません。50年近く経っているのですが、昨日収録されたような音です。よく、テープの劣化でとか、音の悪い再発盤の言い訳に使われますが、それはダビングを繰り返したテープだから寝ぼけた音がするのです。劣化したテープよりオリジナルのレコードのほうが新鮮な音が保たれているとか、まことしやかに言われますが、元のテープの音を聞いたことが無いのでしょう。

しかし、50年間の録音技術の進歩は確実にあって、35年前からはじまっているデジタル録音が普及した1980年代後半以降の録音は、次元がちがう音がしているのも事実です。アナログの熱い音とは違って、一見クールですが、本当は熱い音がしっかりと入っているのです。今日は、そういう音を、テープマニアでもあるHさんに聞いていただきたく、来ていただきました。それがCD盤から聞こえるのです。

経験を積まれているHさんは、最初の音がなった瞬間、顔色が変わりました。dcsやLinnのDSも使われているHさんですが、EMMのセパレート型は聴いたことが無かったそうです。それもそうで、新しいEMMのモデルは、あまり宣伝もしないし、オーディオショーも限られたとこしか出品しないし、ショップでは聞くことが出来ません。代理店が変わっていらいプロ用のスタジオとか、ディープなマニア、例えば横浜のMさんのお宅などでしか聴くチャンスが無いのです。特に、このところの円安以降、普通のマニアが気軽で買える値段帯では無くなりました。二年前から比べると、為替だけで、1.5倍にも値段が上がっているからです。Mさんも私も円高の恩恵を受けた頃だったので、今考えるととてもラッキーでした。

掛けたCDはアルゲリッチとクレーメルのベートーヴェンのヴァイオリンソナタです。先日のフィリアホールでの演奏会の復習に聴いていた盤です。クレーメルのヴァイオリンにはどの様なイメージがありますか?アルゲリッチのピアノも、どちらというとアグレッシーブな印象ではないでしょうか?クラシック音楽マニアのHさんも、勿論このCDは持っておられます。それでも、誰の演奏家と私に聞かれたのです。無理ないと思いました。私自身、これがクレーメルの演奏かと驚いたからです。

 
ソフトウェアのバージョンアップは、EMMの音を根底から変えたと言っても過言ではありません。勿論以前からも、トランスポートで読み取ったCDもSACDも一旦、5.6MHzのDSDにして、DACに送る方法で、いわゆるCDの音の堅さはなくなり、SACDのような静けさは出ていたのですが、今回のソフトウェアの完全な書き換えによって、曖昧なところが無くなり、霧が晴れたように細部まで見通せるようになりました。CDの音は、あたかも東京から眺める富士山みたいで、前に丹沢の山々があって、七合目以上しか見えませんが、富士山だとは解ります。しかし、江ノ島から眺める富士山や、駿河湾から見る富士山は、完全に裾野まで広がっています。冬の晴れた日に海岸線から眺める富士山の様に雄大で、スケールの大きな姿を見せてくれるのです。

その例えで言うと、レコードの美学は、頂上付近をトリミングして、より富士山らしいイメージを、与えてくれる、望遠レンズで見たような世界です。CDからSACDとDSDの時代になると、どんどん広角のレンズのように視界が広がり、なおかつその一部をルーペで見ても解像力が落ちないで、ディテールまで見える、いわば4K/8Kのような世界なのです。その空気感や温度感がどこまで再現出来るかに掛かってきます。いままで、クレーメルの音は、エッジが立ったきつい音というイメージがありました。アルゲリッチのピアノのダイナミックレンジの大きな演奏スタイルの、フォルテシモのところばかりが強調されて聞こえていたのでしょう。今回は、柔らかい指使いや、呼吸の方法まで解ります。

Hさんの驚きは、CD驚きは、CDを変えても続きます。イリーナ・メジューエワのドビッシーを掛けてみました。ドッビシー特有の深い響きがきこえてきます。Hさんも満足していただきました。イリーナさんの演奏は皆、静かで深い響きが、浸透してきます。録音も見事ですね。しかし、同じホールを使った実況録音盤は、収録した時期も冬の所為か、はたまた、演奏会に余り来られていない方も多い所為か、聴衆の雑音が大きく入り、音楽に集中できません。演奏会の場合は、会場のアンビアンスも大事でですが、今少し害に近寄って、相対的なS/N比を上げて欲しいと思いました。クレジットに、『会場の雑音が入っていますが、ご了承下さい」というレベルでは無いと思います。もしかしたら、それも、CDプレーヤーの性能が向上したので、聞こえてくるかも知れませんが。

ここで、一転してJAZZヴォーカルを掛けてみました。昔、シカゴのホテルで聞いたパトリシア・バーバーの2000年に出たnight clubと言うアルバムです。これは、横浜のMさんから翌日はもっと良く鳴っていると、連絡を頂いたアルバムですね。Hさんは、聞くなりダイアナ・クラールみたいだと言われました。確かに、低音の歌い方やピアノの弾き語りはにていますが、パトリシアの方がロック的とでも言うのでしょうか、暗くシャウトしています。静かな夜のナイトクラブにピッタリの曲です。2001年の時にアメリカの空港にいてから、余りあの国には行かなくなりましたが、その直前のアルバムですね。

声の感覚が似ていると言う事から、ダイアナ・クラールの最新アルバムも聞いてみました。最もこれはジャズではなく、懐かしいポピュラーアルバムとでも言うべきでしょうか。懐かしい曲が、デビット・フォスターのアレンジで収録されています。最初のカリフォルニア・ドリーミングや二曲目のデスペラードで、心があの頃に飛ぶお父さん方も多いでしょう。Hさんもやられました(笑)。これは企画勝ちですね。

最後は、いつものハイティンク・シカゴ交響楽団のマーラーの第三番第1楽章の迫力有るの演奏をお聴かせしました。チューバやバストロンボーンの金管類、迫力有る大太鼓の圧倒的な響きが、とても六畳間とは思えない、スケールと音量で鳴り渡ります。音が飽和しないのは、置き方の工夫も有りますが、スケールが大きくかつ精緻な音は、この装置の本領を発揮で来たと、心の中で、是枝さんの新しいアンプを褒め称えました。

この連休は、家に来ていただく事より、お邪魔する方が多くなります。この素晴らしい音を、お聴かせできないのも残念ですが、まずは、ユニコーンを持っていないとはじまらないのです・・・。


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