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悲劇の発動機「誉」を読んで

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二月の末に、『永遠の0』を見ていろいろと感想を書いた記事に、ベルウッドさんが、コメントを寄せていただいていました。

《悲劇の発動機「誉」》という本が面白いですよ。

「誉」というのは中島飛行機が製造した高性能エンジンで戦争末期の四式戦闘機《疾風》や川西製の《紫電改》に搭載されたエンジンです。このエンジンは、超ハイオク・高精製ガソリンを前提条件に設計されました。近づきつつあった対米戦の切り札として開発が急がれた《誉》ですが、それに使用するガソリンは何とそのアメリカから輸入するしかなかったことがわかっていたのです。

この本は、戦時下で本来の実力が発揮できなかった悲劇のエンジン、という神話を打ち砕き、開発戦略の基本や生産の現実を無視した技術的な大失敗だったと、丁寧に論証しています。天才と言われた設計者中川に対しても容赦がなく、実に手厳しい。

陸海軍の技術部門や中島飛行機の愚劣な内情が容赦なく暴かれています。百田某のような復古的、軍国美化の俗論とは大違いで、現代日本の「技術立国」の虚実にも通ずる本格的な技術史論です。

取り寄せた本の厚さにびびって、なかなかまとまった時間も取れず、そのままだったのですが、先日、東京駅前の丸善で買ってきた、宮崎駿の「風立ちぬ」を見てから、やはり、具体的な製造工程を再確認したいと思い、本棚から設計者自身が書かれた堀越二郎の『零戦 その誕生と栄光の記録』、吉村昭の『零式戦闘機』を探し出してきて、読み始めました。昔、何回も読んだ筈なのに、初めて読むような感覚に襲われました。

東京帝国大学工学部航空学科を首席で卒業した堀越二郎が、名古屋の三菱内燃機(後の三菱重工業)に迎えられ、一年半にも及ぶ、欧州・米国視察旅行を経験して、入社5年目には、次期主力戦闘機の設計を任される話は、才能を見込まれた天才技術者に賭ける会社の意気込みと期待の大きさを感じることが出来ます。もっとも、時代の最先端だった航空学科に進めたのは、全国でたった七名だそうです。戦前の教育の良い面がでた例でしょうか。そのような戦前からの伝統のある古い会社では、身分によって使う門も、食堂も、勿論待遇もすべて違います。仕事は出来高制で、結果を求められます。朝六時から夜九時頃まで、働きづめの生活です。勿論、彼らには残業代などありません。戦後訪ねても、この様な伝統は残っていたのですから、戦前はいかばかりだったのでしょうか?

その毎日の生活を吉村昭の才能は、しっかりとノンフィクションで書き続けます。歴史的事実を脚色や婉曲しないで書き続けるのは、司馬遼太郎とは際立った違いです。設計者自身の本は、確かに、技術的な説明は見事な物ですが、我が子を人前で褒める親にも似て、客観的には、なかなか分析出来ない物です。これは仕方ありませんね。

その、堀越二郎や零戦を一緒につくった曾根嘉年、戦前の満鉄特急から親子二代で新幹線を作り上げた島秀雄、石川島播磨重工の真藤恒、レーダー開発の緒方研二、中島飛行機出ジェットエンジンをつくっていたホンダF1の中村良夫、それらの戦時中から戦後にかけて活躍した技術者たちのエピソードを、悲劇の発動機「誉」と同じ著者の前間孝則の『技術者たちの敗戦』で先に読みました。これはどれも、興味ある話ばかりでした。この世代になると、自分達の親の世代なので、一気に親近感が湧きます。そして、それは昭和という特別な時代の事を考えざるを得ないからです。

「誉」のエンジンは、千馬力に届かない時代に、さまざまな制約を外して、一気に二千馬力を実現した、画期的なエンジンです。しかし、使用している材質、組み立て精度、使用する当時米国でしか製造できなかった、ハイオクタンの燃料を使った、一種のレーシングエンジンでした。それを、質の悪いガソリンや、熟練でない組み立て工に作らしては性能が出ません。出発点から無理がありました。一方、熟練の組み立て工を召集令状で、徴用するようなちぐはぐなことをしていたのです。一方の米国や英国のエンジンは、普通の条件で、徐々に性能を上げて、実用に供した時間と信念を持ってつくられていました。

注文主の海軍やそれに負けじとする陸軍の勝手な思惑が、若き技術者の才能を摘み取っていきます。その環境や体質は、現在の日本の状況とまったく変わっていません。役人の身勝手で無責任で傲慢な自己中心主義と組織ぐるみの隠蔽体質は、今回の原発事故にも全く同じ状況で再現されているのです。非常時のことを考えていない、浅はかな役人(昔は参謀の)傲慢が、未曾有の国難を生じさせたのです。三年たっても、誰も告発さえされていない事実が、それを物語っています。

《悲劇の発動機「誉」》の本を読み進めていくと、70年前に起こっていたことが、まったく変わらず再現されていて、驚きを越して、呆れ果てます。

この様な日本人の体質が何時形成されたのか、考えざるを得ません。やはり、江戸時代だったのでしょう。その意味で、織田信長が、本能寺で殺されなかったたら、江戸時代は無かったし、鎖国もなかったでしょう。当然のように海外進出して、東インド会社を作っていたかもしれない話を、テレビでも話していました。縄文人と弥生人、50Hz人と60Hz人、そのような違いも有りますが、自立した日本人が、なが植民地占領政策で、ますます骨抜きになっているのが、現在の日本なのでしょう。《悲劇の発動機「誉」》を読み進めていくと、この様なことが頭の中を駆け巡りはじめました。


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