「諸君!脱帽し給え、天才が現れた!」シューマンがライプッィッヒでショパンに会ったときに表した言葉です。昨日のコンサートを聴きながら思ったのは、この言葉でした。マイミクのベイさんが、絶賛されていたデニス・コジュヒンのショパン・リサイタルに昨晩行ってきました。ベイさんの余りの絶賛と二日間でプロコイエフのピアンノ曲を全曲弾いて、尚かつ3500円という破格な価格にもビックリ。昨晩のオペラシティでのコンサートも、S席で4000円、エコノミー券と称したA席では2000円という信じられない価格。主催者の先見の明のある演奏会予約に大感謝です。
ベイさんをご紹介してくれたベルウッドさんもお誘いして聴きに行きました。急遽、購入した券なので会場でのピックアップです。チケット売り場は、エコノミー券の引き替えで満員。当日券の方に並ぶと、示しているのは二階や三階席。予約したのにと少し不安になりました。でも名前を言うと封筒に取ってあった券は、一階の真ん中のとても良い席でした。券を貰ったので安心して、一階のカフェで、早くも白ワインを注文してベルウッドさんの到着を待ちました。
舞台に金髪を束ねたコジュヒンが颯爽と現れると、深々と一例。早速、ピアノに座り入念に椅子を調整していたかと思うと、ピアノソナタ第二番の劇的な冒頭が始まりました。少しテンポが速過ぎるのではと危惧するぐらい早いパッセージで進んでいきます。Grave-Doppio=極めて荘重にというような意味なのですが、深刻な危機的な状況だけど、テンポも遅いわけではないのです。それどころか、風雲急を告げる感じでもあります。コジュヒン君はどんどん飛ばします。追い立てられた自分の思いに指がついて行けず、三回ほどミスタッチはありましたが、お構いなく変ロ長調に替わるのところまで飛ばし、ちょっと一息です。
とてもScherzoとは思えない二楽章に入りました。四連符の勢いのあるまま飛ばしていきます。しかし半音階が駆け上がるところが、普通の演奏家と違い羽が生えたように軽やかに上がるのです。まるで指が鍵盤を押していないように。グリザンドのように押しているより、流れているかの響きには驚きました。テンポが穏やかになり春の日差しのようなトリオ部分に入ると、演奏が落ち着いてきたのが解ります。何よりの驚きは左手が別人のように優しくなったことです。軽やかなタッチの美しいこと。女性のピアニストのように細かく揺れ動きます。しかし、嵐はまた訪れ、しかし以前ほどの荒々しさはなく、先ほどの半音づつ上昇する部分も緩やかな響きになっています。最後ところのピアニシモのエレガントさにはやられました。
葬送行進曲は、ゆっくりと、柔らかく始まりました。しかし、大伽藍の大きな鐘が鳴るような決然とした響きは、大理石で出来た昔の神殿を彷彿させます。そして、身もとろけるようなピアニシモで演奏される美しい旋律の繰り返し。繰り返す度に同じ旋律なのに色合いが変わっていく様は、シューベルトソナタのような美しさが感じられます。聴いているのは、明らかにショパンなのに、シューマンやブラームスの様な気もしてくるのです。テンポの選定が言うことがありません。むかしロンドンで聴いたポリーニの演奏を思い出しました。でも音色や奏法は、ツィンマーマンが近いのかもしれません。いずれにしても、その域の演奏者であることは間違いないのです。終楽章も美しく、陶然としてきました。先の二楽章とは別人のような落ち着いた演奏です。何よりも響きが美しいからです。気がついていたら、終わっていました。
演奏後、深く一礼して、拍手に応えるて戻ると、二回目には、もう、次の曲の24のプレリュードが始まっていました。そしてプレリュードは、深く沈降していく曲です。第三曲はドビッシーのような響きもあり、4曲目はブラームスの憂鬱さといろいろな色合いが弾き分けられていきます。しずかに曲はすすみおなじみの胃腸薬のコマーシャルに使われている第七曲まで進んできました。曲の印象はまったく違ったものです。そこから第八曲へ行くところは、バッハの平均律と同じ感じです。そう、ショパンも意識したようにこの曲は、バッハへのオマージュなのですね。その意味が良くわかる演奏です。10曲目のパッセージの美しさは例えようもありません。羽のようになでているだけにも見えます。テンポの速い12曲目を弾き終わると曲は止まりました。ここで休憩のようです。少し驚きました。前半はこれを弾ききると思っていたからです。あとでプログラムを見たら、ここで休憩と書かれていました。
急に終わっても、こころはまだ曲の中です。ベルウッドさんに促されて、二階の飲み物カウンターにあがりました。そこで待っていたベイさんをベルウッドさんからご紹介していただきました。去年は154回も演奏会にでかけられたそうです。週に2.5回のハイペースですね。その都度、的確な演奏評を残されています。今回の演奏会も、先日のプロコイエフの記事がなければ来ていません。そして、私がお誘いしていなければベルウッドさんも来られていないわけです。なにか、運命のようなものを感じますね。この演奏会は、私の経験の中でも特筆すべき会になるのは、この休憩時でも確信していました。この演奏の感想や最近の演奏会のお話しをしている内にあっという間に休憩時間は終わりました。
13曲目から再開です。静かな曲がますます深くなっていきます。やはりシューベルト的な味わいがする演奏です。スケールのおきな門を通るような14曲目がすぐ終わると、小雨が降る花園の中の道のように始まったのが、雨だれの前奏曲です。だんだんスケールが大きくなっていきます。そしてまた小雨になり、道が煙るように終わると寸前の高音域の美しいこと。16曲目のプレスト・コン・フォーコに入ります。難しい曲です。凄く早いパッセージで進み、右手は羽のように動き、音が飛んでいきます。18番のユニゾンと19番目のピアノの音域をすべて使うような曲想も楽しいです。
20番目の曲は、ラフマニノフ風で後に彼自身が変奏曲を書いている事で知られています。コジュヒンのラフマニノフも聴いてみたいですね。この曲にかかわらず、ショパンの曲はいろいろな作曲家の影響も受け、多方面に展開します。彼のようなそれをイメージさせてくれる演奏には、じつは中々出会わないのです。様々な色の絵の具が並べられている様な曲ですが、その色を使うには相当の覚悟が必要になるからです。22曲目の暗い色調から23曲目の美しいモデラートをあっという間にすぎて、24曲目の劇的な旋律に入ります。
この最終曲は、何かの曲を思い出させます。幻想曲が雪の降る町のモチーフに使われていますが、この曲は、城ヶ島の雨の旋律を思い起こさせます。利休ねずみの雨が降るというところです。でも遥かにスケールが大きく、その劇的なモチーフが大きく展開すると、最後に大きな鐘が終止符を告げるのです。この最後の三つの音を、右手を大きく上げて、ピアノの最低音を叩くのです。まるで斧を大きく振りかざすように曲が終わりました。その音の揺れ動く様は、直に心に響きました。
そして、第三番のソナタです。24のプレリュードを聴いた後には、凄くまとまった曲に聞こえます。二番のように葬送行進曲が出来ていて、あとから前の楽章を作ったわけではなく、ソナタ形式でまとまった構造美も感じます。コジュヒンも弾きやすそうに旋律を歌っていきます。ショパンらしい響きに満ちあふれています。何時しか分析的な聴き方を止めて、椅子に座り直して、彼の紡ぎ出す音に聞き惚れている自分がいました。完成された3番の曲は、長調であることも幸いにして、身を任せて聴けるからでもあります。するとあっという間に幸せな時間が過ぎていきました。会場の皆さんも真剣に聞き惚れているのが解ります。いつもは気になる余分な音が聞こえません。皆さん、息をのんで聴いておられるのです。
感動に包まれた暖かい拍手に応えて、アンコールで演奏されたのは、バッハ=シロティ のプレリュードとシューベルトの即興曲op.90の第三曲目のアンダンテでした。ベルウッドさんとも演奏後に話したのですが、今日の演奏を解く鍵が、自らのアンコールで示されていたのです。極めて知的なパズルの鍵が提示されていたのです。優しい本当に心に浸みる演奏会でした。
ホールの下の簡易レストランで、おつまみとワインのボトルを取って、感想戦を行いました。ベルウッドさんは、彼のリストが聴きたいと言われました。私は、メンデルスゾーンかシューベルトです。でも、二人とも満ち足りていて、めずらしくコメントは少なく、感動の余韻を楽しんでいました。生涯の忘れられない演奏会の一つになりました。
ベイさんをご紹介してくれたベルウッドさんもお誘いして聴きに行きました。急遽、購入した券なので会場でのピックアップです。チケット売り場は、エコノミー券の引き替えで満員。当日券の方に並ぶと、示しているのは二階や三階席。予約したのにと少し不安になりました。でも名前を言うと封筒に取ってあった券は、一階の真ん中のとても良い席でした。券を貰ったので安心して、一階のカフェで、早くも白ワインを注文してベルウッドさんの到着を待ちました。
舞台に金髪を束ねたコジュヒンが颯爽と現れると、深々と一例。早速、ピアノに座り入念に椅子を調整していたかと思うと、ピアノソナタ第二番の劇的な冒頭が始まりました。少しテンポが速過ぎるのではと危惧するぐらい早いパッセージで進んでいきます。Grave-Doppio=極めて荘重にというような意味なのですが、深刻な危機的な状況だけど、テンポも遅いわけではないのです。それどころか、風雲急を告げる感じでもあります。コジュヒン君はどんどん飛ばします。追い立てられた自分の思いに指がついて行けず、三回ほどミスタッチはありましたが、お構いなく変ロ長調に替わるのところまで飛ばし、ちょっと一息です。
とてもScherzoとは思えない二楽章に入りました。四連符の勢いのあるまま飛ばしていきます。しかし半音階が駆け上がるところが、普通の演奏家と違い羽が生えたように軽やかに上がるのです。まるで指が鍵盤を押していないように。グリザンドのように押しているより、流れているかの響きには驚きました。テンポが穏やかになり春の日差しのようなトリオ部分に入ると、演奏が落ち着いてきたのが解ります。何よりの驚きは左手が別人のように優しくなったことです。軽やかなタッチの美しいこと。女性のピアニストのように細かく揺れ動きます。しかし、嵐はまた訪れ、しかし以前ほどの荒々しさはなく、先ほどの半音づつ上昇する部分も緩やかな響きになっています。最後ところのピアニシモのエレガントさにはやられました。
葬送行進曲は、ゆっくりと、柔らかく始まりました。しかし、大伽藍の大きな鐘が鳴るような決然とした響きは、大理石で出来た昔の神殿を彷彿させます。そして、身もとろけるようなピアニシモで演奏される美しい旋律の繰り返し。繰り返す度に同じ旋律なのに色合いが変わっていく様は、シューベルトソナタのような美しさが感じられます。聴いているのは、明らかにショパンなのに、シューマンやブラームスの様な気もしてくるのです。テンポの選定が言うことがありません。むかしロンドンで聴いたポリーニの演奏を思い出しました。でも音色や奏法は、ツィンマーマンが近いのかもしれません。いずれにしても、その域の演奏者であることは間違いないのです。終楽章も美しく、陶然としてきました。先の二楽章とは別人のような落ち着いた演奏です。何よりも響きが美しいからです。気がついていたら、終わっていました。
演奏後、深く一礼して、拍手に応えるて戻ると、二回目には、もう、次の曲の24のプレリュードが始まっていました。そしてプレリュードは、深く沈降していく曲です。第三曲はドビッシーのような響きもあり、4曲目はブラームスの憂鬱さといろいろな色合いが弾き分けられていきます。しずかに曲はすすみおなじみの胃腸薬のコマーシャルに使われている第七曲まで進んできました。曲の印象はまったく違ったものです。そこから第八曲へ行くところは、バッハの平均律と同じ感じです。そう、ショパンも意識したようにこの曲は、バッハへのオマージュなのですね。その意味が良くわかる演奏です。10曲目のパッセージの美しさは例えようもありません。羽のようになでているだけにも見えます。テンポの速い12曲目を弾き終わると曲は止まりました。ここで休憩のようです。少し驚きました。前半はこれを弾ききると思っていたからです。あとでプログラムを見たら、ここで休憩と書かれていました。
急に終わっても、こころはまだ曲の中です。ベルウッドさんに促されて、二階の飲み物カウンターにあがりました。そこで待っていたベイさんをベルウッドさんからご紹介していただきました。去年は154回も演奏会にでかけられたそうです。週に2.5回のハイペースですね。その都度、的確な演奏評を残されています。今回の演奏会も、先日のプロコイエフの記事がなければ来ていません。そして、私がお誘いしていなければベルウッドさんも来られていないわけです。なにか、運命のようなものを感じますね。この演奏会は、私の経験の中でも特筆すべき会になるのは、この休憩時でも確信していました。この演奏の感想や最近の演奏会のお話しをしている内にあっという間に休憩時間は終わりました。
13曲目から再開です。静かな曲がますます深くなっていきます。やはりシューベルト的な味わいがする演奏です。スケールのおきな門を通るような14曲目がすぐ終わると、小雨が降る花園の中の道のように始まったのが、雨だれの前奏曲です。だんだんスケールが大きくなっていきます。そしてまた小雨になり、道が煙るように終わると寸前の高音域の美しいこと。16曲目のプレスト・コン・フォーコに入ります。難しい曲です。凄く早いパッセージで進み、右手は羽のように動き、音が飛んでいきます。18番のユニゾンと19番目のピアノの音域をすべて使うような曲想も楽しいです。
20番目の曲は、ラフマニノフ風で後に彼自身が変奏曲を書いている事で知られています。コジュヒンのラフマニノフも聴いてみたいですね。この曲にかかわらず、ショパンの曲はいろいろな作曲家の影響も受け、多方面に展開します。彼のようなそれをイメージさせてくれる演奏には、じつは中々出会わないのです。様々な色の絵の具が並べられている様な曲ですが、その色を使うには相当の覚悟が必要になるからです。22曲目の暗い色調から23曲目の美しいモデラートをあっという間にすぎて、24曲目の劇的な旋律に入ります。
この最終曲は、何かの曲を思い出させます。幻想曲が雪の降る町のモチーフに使われていますが、この曲は、城ヶ島の雨の旋律を思い起こさせます。利休ねずみの雨が降るというところです。でも遥かにスケールが大きく、その劇的なモチーフが大きく展開すると、最後に大きな鐘が終止符を告げるのです。この最後の三つの音を、右手を大きく上げて、ピアノの最低音を叩くのです。まるで斧を大きく振りかざすように曲が終わりました。その音の揺れ動く様は、直に心に響きました。
そして、第三番のソナタです。24のプレリュードを聴いた後には、凄くまとまった曲に聞こえます。二番のように葬送行進曲が出来ていて、あとから前の楽章を作ったわけではなく、ソナタ形式でまとまった構造美も感じます。コジュヒンも弾きやすそうに旋律を歌っていきます。ショパンらしい響きに満ちあふれています。何時しか分析的な聴き方を止めて、椅子に座り直して、彼の紡ぎ出す音に聞き惚れている自分がいました。完成された3番の曲は、長調であることも幸いにして、身を任せて聴けるからでもあります。するとあっという間に幸せな時間が過ぎていきました。会場の皆さんも真剣に聞き惚れているのが解ります。いつもは気になる余分な音が聞こえません。皆さん、息をのんで聴いておられるのです。
感動に包まれた暖かい拍手に応えて、アンコールで演奏されたのは、バッハ=シロティ のプレリュードとシューベルトの即興曲op.90の第三曲目のアンダンテでした。ベルウッドさんとも演奏後に話したのですが、今日の演奏を解く鍵が、自らのアンコールで示されていたのです。極めて知的なパズルの鍵が提示されていたのです。優しい本当に心に浸みる演奏会でした。
ホールの下の簡易レストランで、おつまみとワインのボトルを取って、感想戦を行いました。ベルウッドさんは、彼のリストが聴きたいと言われました。私は、メンデルスゾーンかシューベルトです。でも、二人とも満ち足りていて、めずらしくコメントは少なく、感動の余韻を楽しんでいました。生涯の忘れられない演奏会の一つになりました。