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S.Tさんのご感想 - 1 「壷中の天」

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ミューザ川崎のハイティンク・ロンドン交響楽団の演奏会で、Oさんのご紹介でお会いしたS.Tさんが拙宅のユニコーンを聴きに来られました。私より少しお歳は上ですが、同じ世代の方なので、育った時代や読んでいる本、聴いてきたレコードや装置を共有しているので、最初からとても気楽に接していただきました。そのS.Tさんから詳細で丁寧なご感想をいただきました。二回に分けてご紹介させていただきます。


壷中の天という故事があります。後漢の時代、一人の老人が何時も壺の中に入って消えていくのを見ていた男が訝しく思い、その老人に熱心に乞うて壺の中に案内してもらったところ、そこには思いもよらない別の世界があり、盛大なもてなしを受けたという話です。

先日お招き頂いたGRFさんのお宅にはまさしく天というか、小さな別の宇宙が在りました。六畳の部屋に原寸大のイメージでコンサートホールが存在するのがありありと実感できるというのは、まさに現代の壺中の天以外の何物でもないでしょう。

一言でいえばそれが私の印象の全てですが、それではあまりに雲を掴むような話かもしれません。音について千万言を費やしても実際に聞いてみないことには、食べたことのないご馳走についてのエッセイを読むのと同じ事で決して本当のところは分からないというのが私の信念ですが、初めてGRFさんのお部屋で鳴る音楽を聞いた感想をできるだけ具体的に書いてご参考に供し、ご招待いただいたお礼に替えたいと思います。
 
ご報告の前に書いておく必要があるのは、私は40年以上タンノイのⅢLZ、現在はフロントホーン付きコーナーバスレフの「コーネッタ」エンクロージャーに同じユニットを移し替えています、で主にモーツアルトを聴いてきた音楽ファンだという事です。その経験の中でオーディオではオーケストラの再生は無理だとあきらめ、主に室内楽や器楽、声楽等を聴きこんできたこと、したがって多分私の耳にはタンノイの音のかなり強いバイアスがかかっていることをあらかじめお断りしておきたいと思います。
 
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先ず、最初にお聞かせいただいた六畳の和室に設置されたユニコーンのシステムの再生についての感想を述べます。
 
再生音源

 1. ガーディナー / ウイーンフィル  シューベルト 9番
 2. アバド / ルツェルン祝祭オケ    ブルックナー 9番
 3. ハイティンク/ シカゴ響           マーラー 3番
 4. ワルター・デイビスJr  / Scorpio Rising “Sky Lark”
 5. パトリシア・バーバー / Night Club “Bye by Blackbird”
 6. トニー・ベネット / With my Friends Diana Krall, Stevie Wonder
 7. マータ/ダラス響 サンサーンス 3番 
 8. ハイティンク/ RCO   ショスタコービッチ  15番
 9. ハーディング/ ウイーンフィル   マーラー 10番
 
これらの演奏はすべて初めて聞く音源でした。
 
最初にザ・グレイトのホルンが鳴ったとたん無指向性のホルンという楽器が、当たり前といえば当たり前ですが、まことにうまいこと無指向性的に鳴る。オケが続くとオーケストラの楽器は左右前後に広がって、その位置が明確に浮かび上がり、音の舞台はやや左右に広い楕円形の形に感じられます。

フォルテになると音は部屋に充満するが決して飽和しないのに驚きました。最も感心したのは、部屋の中にオケが二階S席で聴く感じで広がるが、それが特に私がタンノイⅢLZで聴いていた時不満に感じていたような精巧なミニチュアという感じではなく、スケール感を維持したまま部屋に収まっていること、それがまさに壷中の天と私が評した所以です。

楽器のスケール感では、特に四番目のピアノトリオの演奏で、ピアノの大きさがそのままのサイズの音像で浮かび上がって仰天しました。ユニコーンの音は、お邪魔する前に私がこんな音でもあろうかと想像した種類の音ではありましたが、それが想像を遥かに超えてリアルな水準でオケの音を奏でるので唸ってしまいました。
 
ユニコーンはシングルコーンのコーン部分から360度に直接音が出て、通常のスピーカーでいうコーンのラッパ部分から出る音が開口部が前後に分かれたバックロードホーンを通じて外に放たれる、という構造になっているという事ですが、さすがにドイツの物理学(German Physiks)で計算しつくされていると見えて、バックロードホーンにありがちなホーンから出る音の遅れによる低音域の100hz前後の落ち込みも全く感じさせず、最低域まで切れが良く豊かな音で音楽を再生します。シングルコーンの良さがフルに発揮されていて、スピーカーの繋ぎ目での音質の変化等も当然のことながらなく、これはまさにスピーカーの一つの理想であると感じました。

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私の考えでは、スピーカーに要求される最も重要なことの一つは音の立ち上がり、管楽器であればマウスピースに息が吹き込まれまさに音が出る瞬間の切れというか鮮度と、音の立下り時、というのは、使いたくない言葉ですが、立ち上がりに対応する言葉としてやむを得ず使います、つまり音が止まって最後の音の余韻が空間に立ち上って行く瞬間の表現であろうと考えています。ユニコーンの再生する、音の終わりの余韻が長く空中に漂う感じは全く見事なもので、何時までも耳に残りました。
 
ハイエンドのシステムを聞かせてもらうことがありますが、それらは素晴らしく磨き上げられた美しい音で鳴っていても、アンプが強力なパワーで無理やりスピーカーを駆動していると感じることが多いのです。ところがユニコーンにはもっと軽く自然に、スピーカーが自ら歌っているような伸びやかさを感じます。それでいて力を出すところは悠然と強力に押し出してくる。モーツァルティアンはカール・バルトがモーツァルトの音楽を評した「重さが浮かび、軽さが限りなく重い」という言葉を良く引用しますが、このユニコーンというスピーカーが鳴らす音を聴いて私はこの言葉を思い出しました。
 
コンサートと同じように、オーディオ機器も聞き手との交流によって気合が入りもすれば弛みもする、などというと、何を馬鹿なことを言うかと叱られそうですが、私は間違いなくそういう事はあると思っています。この時も最初のシューベルトではややお互いの呼吸を図りながら少し遠慮しつつ鳴っていたユニコーンが、曲の進むにつれて聞き手の気持ちと交流できるようになるとなると共に、どんどん螺旋状に加速して熱く鳴りだし、三曲目のハイティンクのマーラー3番になって最初の頂点に達したようです。長い1楽章の後半の打楽器の強烈な響きや金管の咆哮は、これがシングルコーンの出す音かと驚嘆するような印象を私に与えました、凄かったです。

実際の演奏でもこれだけのインパクトを感じることはどれだけあるでしょう。終わった時に同席したOさんが思わずブラボーの拍手をしたほどでした。こういう経験は私の50年を超えるオーディオ趣味の中でもそう何回もありません。それにはオーディオ装置の能力はもちろん必要ですが、それだけでは不十分で、装置のコンディション、聴く人同士の共感やその日の天候などのもろもろの条件が重なって初めて可能になるレアな出来事ことだと信じています。
 
 

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