七年間続いてきたペーター・レーゼンの紀尾井ホールでの最後の演奏会が、昨日終わりました。ブラームスのピアノ協奏曲第一番のあと、紀尾井ホールの聴衆にお別れに弾いたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第二十七番変ロ長調の第二楽章のラルゲットでした。一音一音が心の奥に浸みていく響きで、慈悲と慈愛に充ちた深い演奏でした。
すべての楽器がそうでしょうが、感情移入しているときと、ただ音がなっているときでは、まったく違う響きになります。一音一音が有機的に繋がり、それが形而上学的に昇華していく瞬間は、そう見られる経験ではありません。レーゼンの日本の聴衆への感謝が込められた演奏でした。このアンコールを聴くだけでも、今日、ぎりぎりまで時間を調整した甲斐がありました。ホールに着いたのは、二分前でしたが。
最初の曲は、ハイドンの主題による変奏曲です。冒頭から、ピッタリと揃った演奏にビックリ!もっとも先週はアマチュアのオーケストラで、音の狂いや一本調子の金管を修正しながら聴いていた所為かもしれません。さすがに日本を代表する紀尾井シンフォニエッタ東京です。普段よりすこし大きな10・8・6・5・3の編成ですが、今日のオーケストラの響きは何時もとも違います。第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが対向する配置です。ブラームスにはピッタリのサイズですが、特に低弦がピッタリと合っていて、三本のコントラバスの感じがしません。主題を演奏するときは、オーケストラのちょうど半分しか働いていないのが、視覚的に見えます。
冒頭の主題は、コントラバスとチェロ、オーボエ、フォガット、コントラファゴット、ホルンだけで演奏されます。その音だけでも、響きが違いました。第一変奏が始まり、すべての弦楽器が鳴り始まると、その違いはより明確になったのです。いつもより、少しだけ渋い音がするのです。今日のコンサートマスターは、コンセルトヘボーのコンサートマスターとしても知られている、フェスコ・エシェナージさんです。楽器は1738年製のグァルネリ・デル・ジュスだそうです。コンサートマスターで音が変わるのは、去年のバイエルンのコンサートマスターで経験していますが、今日は何時もとは、まったく違う響きなのです。
指揮者のオラフ・ヘンツォルト氏はライプッヒ生まれのドレスデン育ち。そしてレーゼル氏も。今日の響きは、ドレスデンの弦楽器の感じなのかもしれません。ピッタリと揃った弦楽器は、水戸室内とも共通しているのですが、水戸は音が暖色系です。紀尾井は、それから比べるとすこしクールな感じがあるのですが、今日の音は特別ですね。
二曲目は、一回も聴いたことの無い『小オーケストラのためのセレナード第二番』という曲でした。弦楽器の編成が特殊で、ファーストヴァイオリンの位置に、ビオラが来て、チェロとコントラバスの低音部の弦楽器しか居ません。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンの各二本の響きで構成された実に渋い曲です。構成もシンプルで民謡的なところがありません。しかし地味な曲で、初めて聴く響きに音響的には感心しました。時々睡魔に引き込まれそうになりましたが。
休憩では、久しぶりにNEXTNEXTご夫妻とお会いしました。春から夏にかけて、アメリカの灼熱地帯に行かれていた話をお聞きして、大いに笑いました。アメリカの食文化の影響からか、少しふっくらとしていました。お会いしたときもアイスクリームを食べていたぐらいですから、影響があるのでしょう(笑)。
さて、いよいよレーゼルのブラームスのピアノ協奏曲第一番ニ短調です。冒頭のいきなりクライマックスに来るような特徴のあるテーマが終わると、ピアノが始まります。最初は控えめな響きです。このあたりは、コントラバスの響きがもっとも聞こえても良いのですが、いつもより控えめな弾き方です。ホルンの一番、二番もくすんだ音です。ティンパニーも控えめです。ピアノが少しだけ音程が低い様にも思えました。最近は、グリーモーのアグレッシーブな演奏を聴いていた所為か、大人の音という感じがします。
第一楽章の最後にホルンとピアノの掛け合いがあります。問題は、この第三ホルンの美しい旋律を外したところです。良い演奏を重ねてきているのに、肝心なところでホルンの音が外れるのはとても残念です。後から聞くと、昨日も聴いたBellwoodさんは、昨日も同じところで外したと嘆いていました。同じミスを繰り返さないことが大事だし、二回続けて外すのでは、練習の時も外していたのではないでしょうか?彼女だけがまだ若い奏者ですが、ホルンの4人の仲間でその辺の調整はないのでしょうか?彼女のホルンの音色は、とても良いだけに残念です。
しみじみとした第二楽章が始まると、ピアノの弾き方が感情移入されてきて、一段と深いひびきになりました。チェロとコントラバスの弱音と美しいピアノのためらいがちな下降旋律がブラームスを聴いているのだと納得させられます。クラリネットの二重奏の支えのあと、オーケストラが感情を爆発させても、ピアノはたんたんと進みます。クラリネット、オーボエ、ファゴットの旋律が美しく、私的にはその後のコントラバスの深い音が聞きたかったのですが、ユニゾンの音は極めて美しいのですが、今少し、自己主張をして貰いたかったです。終盤のクライマックスに向けて、ピアノが昂揚していきます。このあたりではオーケストラと一体となって、ピアノがオーケストラの伴奏をするところが良かったです。
第三楽章に入り、レーゼルのピアノものってきて、オーケストラとピアノの一体感が出て来ました。オーケストラとの音程も合ってきました。素晴らしい時間を共有しているという実感が湧いてきました。素晴らしい音楽は何時までも終わらないでくれと言うときがあります。今日がその瞬間でした。盛大な拍手に迎えられたレーゼル氏は、おもむろにアンコールを弾き始めたのです。
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲を。
演奏会が終わると、おもては11月の冷たい空気が充ちて、空は美しくあかね色に染まり始めました。風はもう冬の装いです。来るときは暖かだったので、セーターを脱いできました。上着の隙間から冷たい風がシャツに浸みてきます。いつもの、レストランで、ブルゴーニュをあけて、Bellwoodさんと恒例の感想戦です。出るときには、良い演奏と、美味しいワインで寒さを感じなくなりました。もう、外は真っ暗になっていました。忙しい一週間がようやく終わたようです。
すべての楽器がそうでしょうが、感情移入しているときと、ただ音がなっているときでは、まったく違う響きになります。一音一音が有機的に繋がり、それが形而上学的に昇華していく瞬間は、そう見られる経験ではありません。レーゼンの日本の聴衆への感謝が込められた演奏でした。このアンコールを聴くだけでも、今日、ぎりぎりまで時間を調整した甲斐がありました。ホールに着いたのは、二分前でしたが。
最初の曲は、ハイドンの主題による変奏曲です。冒頭から、ピッタリと揃った演奏にビックリ!もっとも先週はアマチュアのオーケストラで、音の狂いや一本調子の金管を修正しながら聴いていた所為かもしれません。さすがに日本を代表する紀尾井シンフォニエッタ東京です。普段よりすこし大きな10・8・6・5・3の編成ですが、今日のオーケストラの響きは何時もとも違います。第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが対向する配置です。ブラームスにはピッタリのサイズですが、特に低弦がピッタリと合っていて、三本のコントラバスの感じがしません。主題を演奏するときは、オーケストラのちょうど半分しか働いていないのが、視覚的に見えます。
冒頭の主題は、コントラバスとチェロ、オーボエ、フォガット、コントラファゴット、ホルンだけで演奏されます。その音だけでも、響きが違いました。第一変奏が始まり、すべての弦楽器が鳴り始まると、その違いはより明確になったのです。いつもより、少しだけ渋い音がするのです。今日のコンサートマスターは、コンセルトヘボーのコンサートマスターとしても知られている、フェスコ・エシェナージさんです。楽器は1738年製のグァルネリ・デル・ジュスだそうです。コンサートマスターで音が変わるのは、去年のバイエルンのコンサートマスターで経験していますが、今日は何時もとは、まったく違う響きなのです。
指揮者のオラフ・ヘンツォルト氏はライプッヒ生まれのドレスデン育ち。そしてレーゼル氏も。今日の響きは、ドレスデンの弦楽器の感じなのかもしれません。ピッタリと揃った弦楽器は、水戸室内とも共通しているのですが、水戸は音が暖色系です。紀尾井は、それから比べるとすこしクールな感じがあるのですが、今日の音は特別ですね。
二曲目は、一回も聴いたことの無い『小オーケストラのためのセレナード第二番』という曲でした。弦楽器の編成が特殊で、ファーストヴァイオリンの位置に、ビオラが来て、チェロとコントラバスの低音部の弦楽器しか居ません。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンの各二本の響きで構成された実に渋い曲です。構成もシンプルで民謡的なところがありません。しかし地味な曲で、初めて聴く響きに音響的には感心しました。時々睡魔に引き込まれそうになりましたが。
休憩では、久しぶりにNEXTNEXTご夫妻とお会いしました。春から夏にかけて、アメリカの灼熱地帯に行かれていた話をお聞きして、大いに笑いました。アメリカの食文化の影響からか、少しふっくらとしていました。お会いしたときもアイスクリームを食べていたぐらいですから、影響があるのでしょう(笑)。
さて、いよいよレーゼルのブラームスのピアノ協奏曲第一番ニ短調です。冒頭のいきなりクライマックスに来るような特徴のあるテーマが終わると、ピアノが始まります。最初は控えめな響きです。このあたりは、コントラバスの響きがもっとも聞こえても良いのですが、いつもより控えめな弾き方です。ホルンの一番、二番もくすんだ音です。ティンパニーも控えめです。ピアノが少しだけ音程が低い様にも思えました。最近は、グリーモーのアグレッシーブな演奏を聴いていた所為か、大人の音という感じがします。
第一楽章の最後にホルンとピアノの掛け合いがあります。問題は、この第三ホルンの美しい旋律を外したところです。良い演奏を重ねてきているのに、肝心なところでホルンの音が外れるのはとても残念です。後から聞くと、昨日も聴いたBellwoodさんは、昨日も同じところで外したと嘆いていました。同じミスを繰り返さないことが大事だし、二回続けて外すのでは、練習の時も外していたのではないでしょうか?彼女だけがまだ若い奏者ですが、ホルンの4人の仲間でその辺の調整はないのでしょうか?彼女のホルンの音色は、とても良いだけに残念です。
しみじみとした第二楽章が始まると、ピアノの弾き方が感情移入されてきて、一段と深いひびきになりました。チェロとコントラバスの弱音と美しいピアノのためらいがちな下降旋律がブラームスを聴いているのだと納得させられます。クラリネットの二重奏の支えのあと、オーケストラが感情を爆発させても、ピアノはたんたんと進みます。クラリネット、オーボエ、ファゴットの旋律が美しく、私的にはその後のコントラバスの深い音が聞きたかったのですが、ユニゾンの音は極めて美しいのですが、今少し、自己主張をして貰いたかったです。終盤のクライマックスに向けて、ピアノが昂揚していきます。このあたりではオーケストラと一体となって、ピアノがオーケストラの伴奏をするところが良かったです。
第三楽章に入り、レーゼルのピアノものってきて、オーケストラとピアノの一体感が出て来ました。オーケストラとの音程も合ってきました。素晴らしい時間を共有しているという実感が湧いてきました。素晴らしい音楽は何時までも終わらないでくれと言うときがあります。今日がその瞬間でした。盛大な拍手に迎えられたレーゼル氏は、おもむろにアンコールを弾き始めたのです。
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲を。
演奏会が終わると、おもては11月の冷たい空気が充ちて、空は美しくあかね色に染まり始めました。風はもう冬の装いです。来るときは暖かだったので、セーターを脱いできました。上着の隙間から冷たい風がシャツに浸みてきます。いつもの、レストランで、ブルゴーニュをあけて、Bellwoodさんと恒例の感想戦です。出るときには、良い演奏と、美味しいワインで寒さを感じなくなりました。もう、外は真っ暗になっていました。忙しい一週間がようやく終わたようです。